負けることのできる人。
こんにちは、僕です。
以前の僕は、どこに行っても、誰と会っても、戦ってばかりでした。
仕事でも、プライベートでも、たとえそれが家族とでも、
ひとまず何か言われたら、何か言わずにはいられない。
「知らない」「分からない」と言えない。
心理学の用語で言えば、よくマウンティングしていたわけです。
マウントの方法は様々で、
相手に「知識量」でマウントすることもあれば、
「経験値」でマウントすることもありました。
しかし、最近の僕と言えば、結構負けっぱなしです。
(いいんだか、わるいんだか、はさておき。)
なぜ戦わなくなったのか?
なぜ僕は戦わなくなったんでしょう?
先日ある方のコンサルをしていて、それが話題に上りました。
そのときの僕は少し考えて、
「それは僕が、主戦場を決めたからかもしれません」とお答えしました。
僕は基本的に「文章」ではとことん勝負をしますが、
他ではどれだけ負けてもいいや、と思って生活しています。
どれだけダサくても、変なやつだとか、こいつショボいな、と思われても、
いっこうに構わないと思って生きています(ほんとうに)。
それなら「文章」の世界では誰と競っているのか?
月並みな表現を許してもらえるのであれば、
僕が競っている相手は「自分」だけです。
(だって世の中には優れている作家さんや素敵な文章を書く人はいくらでもいますからね。)
可能性としての自分
僕が競う相手は、自分が信じた「可能性としての自分」です。
その「自分」に対して、妥協せずにとことんやりきることができれば、
その結果はどうであれ、僕はそれで満足なのです。
もしあなたが、やたら誰かと競ってしまったり、比べてしまうのであれば、
それは「自分の場所(主戦場)」みたいなものが定まっていないことが理由かもしれません。
ちなみにその「場所」というのは、
「自分の可能性を無限に試せる場所」だと僕は思うのです。
人によってそれは「歌」かもしれませんし、
「料理」かもしれませんし、「心」や「カウンセリング」の世界かもしれません。
以前ミスチルの桜井さんが、
「上手く歌おうと思えばできるけれど、実際どれくらい上手く歌えばベストなのか、未だにわかりません」
みたいなことを言っていたのを覚えていますが、
その「主戦場」では、
「上手い=伝わる」とか「上手い=良い」とは限らないのかもしれません。
one more thing...
以前塾講師をしていたときに、
「授業には完成がない」と聞いたことがありますが、
これは「授業(教育)こそが自分の主戦場だ」と決めている人の言葉だと、今思えば感じるのです。
その分野が自分の「主戦場」ならば、
その人は「自分の可能性」をとことん追求できるはずです。
終わりがない分野を選ぶ
自分の成長に終わりがない分野を選ぶ。
自分の可能性をとことん追求できる「なにか」を見つける。
それがあると人生の彩りは、目盛り1つ分か2つ分、豊かになると僕は思います。
その分野を見つけるまでに10年、20年かかったとしても、
その後、20年か30年、その分野で楽しめたなら、
僕はそれでいいと思います(あくまで僕の価値観ですが)。
そう考えると、ジョブズの言った、
Keep looking, Don’t settle.
(探し続けるんだ、立ち止まっちゃいけない)
というのも深くうなずける気がするのです。
あなたの「主戦場」はどこですか?
それを決めるとあなたは、
世間的、社会的には負けても平気になるかもしれません。
永遠に楽しみながら(そして同じくらい苦しみながら)、
自己改革し続けられる分野に、僕らも出会えたら素敵ですね。
それでは今日もこの辺で。
きっと明日も良い日です。
LINE@やってます。
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1コメント
2018.09.21 00:42