逃げる言葉、逃げない言葉。
最近のことをつらつらと書きます(たぶん少々長めの文章になります)。
最近も相変わらず(ほとんど)毎日小説を書いています。
「ほとんど毎日」と書いたのはやはり僕にも大切にしなきゃいけない人(つまりパートナー)がいるので、
その人との時間をつくるためにも週に1度は書かない時間を作っています。
しかしながら、週に2万字は書くという基準は落としたくなかったので、
以前は1日3000字というノルマだったものを
最近は1日3500字に嵩上(かさあ)げしています。
こうすれば週に6日でも2万字は書ける計算になるわけです。
春樹さんに学ぶ
村上春樹さんはその近著である『騎士団長殺し』のファースト・ドラフト(初稿)を、
10ヶ月で書き上げたといいます。
その分量は2000枚(80万字)だったんですが、これを単純計算すると
月に8万字(週2万字)という計算になるわけですね。
だから僕も書くときはそのくらいのペースを守ろうと思って、それを実践しているわけです。
(今書いているものはトータルで15万字ほどのところまで来ました。)
この物語のラストのシーンはなんとなく見てきましたが、そこでどんなことが起こるのか詳しいことは僕にもわかりません。
ですからきっとあと2〜3週間ほどが山場になっていくでしょう。
僕はまだ小説でお金を稼いでいないので、これと並行して自分の別の力を使って(コンサルをして)お金を作っています(コンサルも結構好きです)。
この2つのバランス取りに去年は本当に苦労したんですが、最近はやっとそのあたりのバランスが取れるようになってきた感じです。
重要なふたつの
体力づくり
小説を書くとき、僕はそれ以外の作業は一切やりません。
携帯もサイレントにしていますし、メールが来ても基本その時間は返信もしません。
(Amazonなどでなにかを注文したときも午後に物が届くように設定してあるほどです。)
なぜなら、そのくらい集中してやらないと「言葉」がするすると逃げていってしまうからです。
それはまるで砂時計の中をサラサラと落ちる砂のように、
浮かんできた「イメージ」がサラサラとどこかに行ってしまうのです。
そして執筆は瞬発的な短期戦であると同時に、毎日続く長期戦(持久戦)でもあるわけです。
ですから「自分自身の身体づくり」と「経済的な体力づくり」は本当に重要になってきます。
※じっくり執筆をされたい方は、その2つを意識されると良いと思います。
逃げる言葉と
逃げない言葉
「翻訳」の話をします。
小説の言葉は逃げてしまったらまた捕まえに行くのが大変ですが、
翻訳のテキストは僕が気を抜いていもなにをしていても、逃げずにそこにいてくれます。
だからじっくり時間をかけて、基本となる訳を考えたあと、より適切な言葉やリズムのいい言葉選びが可能になります。
そして一つの文章や場面についてじっくり考えることもできるわけです。
逃げる言葉を捕まえる執筆と、逃げない言葉を丁寧に訳す翻訳。
それぞれに、それぞれの良さがある気がします。
執筆で味わう楽しみと、翻訳で味わう楽しみはまた別物ですし、
執筆で経験する苦しみと、翻訳で経験する苦しみはまた別物です。
翻訳の作業は執筆で言うところの推敲(書き直し)の作業に似ている気がしますが、
「自分という人間をどれだけ出すすか」という点においては
執筆と翻訳ではけっこう違ってくる気がするので、それらが完全に同じとも言い切れません。
いずれにしても僕にとってはそのどちらも大切な文章的鍛錬になりつつある今日この頃です。
翻訳はかなり機械的にできますし、やればやるほど技術が上がってくる(気がする)ので、面白くなってきます。
(冒頭にでてきた「小説を書かない日」でさえも、翻訳の作業は必ずやるようにしています。)
高校までの英語の知識があって、自分がハマれるテキストを見つけることができさえすれば、誰にでも始められる作業です(これは本当にお金になりませんが)。
最近のテキスト
最近扱っている本(テキスト)をご紹介します。
先月(2018年4月)はPhilipp Meyer(フィリップ・マイヤー)さんの短編を訳していましたが、
それを終えた頃に面白そうな本に出会ったので、最近はそちらに取り組んでいます。
Amber Smith(アンバー・スミス)さんのTHE WAY I USED TO BEです。
【THE WAY I USED TO BE】
(わたしがかつて、いたところ:仮訳)
これは「兄の親友にレイプされてしまった少女の話」です(かなりショッキングな始まりですね)。
しかもその「兄の親友の男」はほとんど家族同然だったので、
普段一緒に生活しなければならず、なおさらややこしいわけです(そうでなくても本当に辛いことのはずなのに、、)。
小説自体は簡単な単語とリズムのある文体で書かれていたので、読み出してからすぐに引き込まれてしまい、
「これを訳してみよう」と決めて、さっそく取り組み始めたというわけです。
章立ては少女が高校1年生〜4年生までの4章で構成されています(アメリカは小6・中2・高4年生が一般的)。
僕はまだ1章の途中ですが、この主人公のEden(エデン)という少女が辿る未来が気になって仕方ありません(途中で飽きないといいのですが、、)。
どこで本を見つけるのか?
洋書を探すとき、僕は日本のAmazonではなく、
アメリカのAmazon.comであれこれと本を漁り、レビューを参考にするようにしてます。
本来ならニューヨーカーに掲載されている短編やブックレビューから新しい作家を発掘するべきなんでしょうけど、
僕はひとまず自分が練習として取り組めるテキストを見つけられればそれでいいので、今はこの方法を取っています。
そうして見つけた本を今度は「日本の」Amazonで「中古」で購入して、イギリスやアメリカ、そしてカナダあたりから取り寄せます。
届くまでに2〜3週間ほどかかりますが、それを厭(いと)わなければ、日本で普通に買うよりもかなり安価で購入ができます。
※ちなみにこの本「THE WAY I USED TO BE」はカナダの発送元から送ってもらい992円でした(送料込み)。 ※カナダでは$14.99。
なにより「海外から本が届く」ということに僕はワクワクするのです。
少し余談ですが日本の実店舗で洋書を購入するときは
新宿の紀伊國屋書店(の洋書専門店)が徒歩圏内にあるので、そこに行って探すことが大半です。
その目的は?
ところでなんでこんなことをしているのか、というと、僕は将来海外に行って小説を書いてみたいと思っているからです。
そのとき現地で「読書ができない」なんて事態になったら大変じゃないですか(読書は歯磨きと同じくらい日常的な行為)。
だからですね、今のうちから「洋書を読む訓練」をしているわけです。
そして「せっかくだから」ということで翻訳もしているわけです。
なぜなら翻訳をすることで、文章能力の向上にも効果があるみたいだからです(とある先生から以前そう教わりました)。
だからそれを実直(あるいは安直に)に続けているわけです。
まだ小説家としてデビューもしてないうちからこんなことをしても意味があるのか?
時々そう思わなくもありませんが、
僕は色々やってきた結果(本当に色々やってきたなぁ)、
こういう生き方しかできないと腹をくくったというか、ほとんど「あきらめた」んですよね。
僕は思うんですが、「これがしたい!」という気持よりも、
「これしかできないし!」という、どちらかというと【消極法的な生き方】の方が
個人的にはうまくいくような気がしています(その方が逃げ場がありませんから人は一生懸命にやるわけです)。
さて、これからの僕の人生、いったいどうなることやら、、。
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それでは今日もこの辺で。
きっと明日も良い日です。
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