ネガティブの先にあるもの。
自信とは物事や状況を正確に把握して "いない" ときに持てるものである。
ということわざをいつか目にしたことがあります(はて?どこの国の言葉だったっけ)。
ひとしきりポジティブで突っ走ってきて、
ふと立ち止まることが(意識的にせよ、無意識的にせよ)僕らにはありますよね。
あんまり片方を無視して走ると「強制的」に考え直すような機会に遭遇したりすることさえあります。
いずれにしても、そこでいったん冷静になって、自分のまわりの環境を俯瞰で見て、実際の数字や状況をきちんと確認する。
それはつまり「物事を正確に把握すること」につながるし、今まで見なかったものと向き合うことにもつながります。
ここで先述のことわざをもう一度。
自信とは物事や状況を正確に把握して "いない" ときに持てるものである。
このことわざが正しいのであれば、
物事を正確に把握することによって、「自信」は目減りしていくことになります。
それは仕事のことかもしれないし、パートナーシップのことかもしれません。
子供との関係のことかもしれないし、ライフワークのことかもしれません。
もしかしたらお金のことかもしれません。
いずれにしても、僕たちが自信をなくしてしまったのであればそれはつまり「冷静」になったということなんです。
ネガティブとポジティブ
エネルギーって面白いもので、片方のエネルギーが生まれると必ずもう片方も生まれるようになっています。
ネガとポジ、白と黒、陰と陽、男と女、太陽と月、空と大地、、、
自然の中では相対するモノができると、シーソーでもするかのように、もう片方のモノも発生するようになっています。
それはきっと感情も同じで、ポジティブができたと同時にネガティブもできたことになりますし、
逆を言えばネガティブがあるということはポジティブもあるということです。
ネガティブな感情が生まれてしまったときはまずはそれをナシにしないことが大切だと僕は思っています。
なぜならそれは「自然」なことだし、すでに「ある」ものだからです。
少し冷静になる
今まで僕はネガを見ないようしていたと思うんです。
なぜなら、まずは初稿を完成させるために(中間地点まで)走り切ってしまうこと、それが大切だったからです。
そこで見なかったネガが大きければ大きいほど、反動も大きいんです。
ということでここ数日、ネガティブな感情と結構向き合っていました。
ほぼ毎日やっていたランニングもやらなかったし、文章を書くということもほとんんどしなかった。
ただただ、自分の中を少し見ていたんです。
ネガティブの先にあるもの
もし、今あなたがヘコんでいたり、ネガティブな感情を感じやすくなっていたら、それはある意味とても正常なことです。
今感じていることは少し前まで「見ていなかった感情」かもしれないし、
数年前にポジティブに振れすぎてその反動が来ているのかもしれません。
そんなときは「あぁ、自分頑張ってたんだなぁ」とか、「見ようとしなかったことがあるんだなぁ」って感じてみるんです。
そしてもし可能なら「きちんと落ち込む」ことをしてみてください。中途半端ではなく。きちんと。
僕らの心は必ず、底をついて跳ね返って、もとに戻るようにできています。
だから落ち込むときはきちんと落ち込む。
人に話を聞いてもらったり、空を眺めてみたり、少しだけぼうっとしてみる。
甘いものが好きなら食べればいいし、行きたい場所があるのなら行ってみればいい。
そうやって、また歩き出せばいいんです。
その先になにがあるのか?
進んだ先になにがあるのか? それはやっぱり分かりません。
僕はこれまでに短編小説を3つと長編を1つ書きました(このサイト用に超短篇も10本ほど書きましたね)。
長編が完成して、秋以降に文学賞に応募したら、その後どうなるのか?
それは僕にも分かりません。けれど、まずはそこまで行ってみようと思っています。
山登りでも登っていけば、眼下に広がる景色が違ってくるように、まずは「こっちかな」と思った方に進めるだけ進んでみるんです。
そこであなたは(そこで僕は)、どんな顔をしているんでしょう?
ときにポジに振れながら、ときどきネガティブになりながら、これからも進んでみましょうよ。
そこでまたあなたに会えるのが楽しみです。
引き続き、よろしくお願いします。
相反するものを統合する?
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