「べき」は「恐れ」。



先日更新した「自分の法律」の続きの話。


(今回のタイトルにもあるように)「◯◯するべき」という自分の法律は「恐れ」から来ています。


・親は子供を信頼すべき。

→でないと子供から尊敬されない(愛されない)と思っている?


・子供は親孝行すべき。

→でないと親から愛されないと思っている?


・男はきちんと稼ぐべき。

→でないと男としての価値がないと思っている?


・リーダーは方向性を示すべき。

→でないと尊敬されない(部下から見放される)と思っている?


・女性は女性らしく(って一体何?)あるべき。

→でないと「結婚できない」とか「愛されない」とか思ってる?


こんなふうに「◯◯するべき」の裏には


そうしないと「嫌われる」とか「愛されないかもしれない」という「恐れ」が隠れています。


たしかに、そうあるべきかもしれません。

でも、そうあるべきで「ない」のかもしれません。


いや、そうでなくてもいいのかもしれません。


すごく投げやりな言い方をしてしまえば、「どっちでもいいのかも」しれないんです。


こんなふうに「どっちでもいいや」って思いつつ

「でも自分はこっちの方が楽しいなぁ」くらいのゆるいグリップで選択をできたなら

毎日がきっともっと楽になると思うんです。


だって、「◯◯するべき」っていう「自分の法律」が多いってことは、

日常生活の中で、自分も裁くし、相手も裁いてしまうわけですよね?


だから、誰かと会っても、電車に乗っても、車で移動してても、テレビを見ても、

Facebookを見ても、恋人や旦那さん(奥さん)といても、趣味の時間を過ごしていても、

起きている時間の多くの時間を「イライラ(と恐れ)」の中で生きることになるわけです。


このイライラや恐れ。

瞬発力はあるんです。


だから、なにかを始めるきっかけや起爆剤にはなるんです。

でも、燃費が悪いんです。


だからすぐに疲れるし、

多くの場合、周りの人も離れていく。


たとえば、僕がこのブログを「恐れ」から書いてたらどうでしょうか?


「こんなこと書いたらもう見に来てくれなくなるかもしれない」

「悪く思われるかもしれない」


そんな思いで書いていたら、なんか嫌だし、僕も面白くありません。

ただただ、伝えたい事がる。書くのが楽しい。それでいて僕の文章で誰かが「明日も頑張ろう」とか「なんかホッとした」とか


結果的に、


そう思ってくれたら嬉しいなぁって思って書いています。


そんなふうにして書き続けていたら、ここにまた遊びに来てくれる人がいる。

それが僕はとても嬉しいし、もっと色々書いていこうって思うわけです。


歳を重ねるって、「許せることが増えること」だと僕は思うんですが、

それはある意味、自分の法律を見つけて、それを癒やしていくことでもあると思うんです。

↑カナダでお世話になった「いい感じに歳を取った」夫妻。


このブログがその「許し」や「許可」のキッカケになってくれたらいいなぁ、なんて思っています。


もし僕のブログを読んで少しでも心が軽くなったなら、知り合いの誰かに紹介していただけると嬉しいです。


ではでは、引き続き、よろしくお願いします。//



誰かに勝ちたくなってしまったとき。

言葉のちから

僕らの言葉と想いと行動が きっと世界を変えていく 少しだけいい方向に

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