「自分の法律」の話。
僕らはそれぞれ、見ている世界が違います。
相手のことを良く思っていれば、その相手の良いところがたくさん見えるし、
仮に悪い部分が見えたとしても目を瞑(つむ)ってしまうものです。
逆にその人のことを少し歪んで見ていれば、
やっぱりその人の悪い部分が目についてしまいますよね。
誰に頼まれるでもなく僕が毎週送っているこのメールに対しても同じです。
「元気が出ました!」とか「頑張ろう!って気持ちになりました」とか言ってくれる人がいる一方で
「キレイ事だ」とか「またなんか言ってるな」「こんな長い文章、よくもまぁ書けるよな」って思う人もいる。
中にはまったく意識せず、毎週「スルー」って人もいるんですね。
「嫌われる勇気」という本は間違いなく昨年読んで一番衝撃を受けた本なんですが、
その中に「相手の課題と自分の課題を分ける」というフレーズがあります。
このメールや僕の発言に対する「受け取り方はその人次第」であって、どう受け取るかはやっぱり自由です。
というかそこまでさすがに設計できませんし、コントロールできません。
(そもそもコントロールしようなんて思ってもいません。)
ある人は目の前の現実を見て「これはチャンスだ!」と思っているかもしれませんし、
別の人はそれと同じ現実を見て「もう人生終わりだ!」と思っているかもしれません。
こんなふうに人によって「捉え方」も違うんですが、
また同時に「正しさ」も人それぞれ異なります。
ときどきツイッターやFaceboookで「炎上」したりしてますよね。
あれって、誰かの発言や行動が、別の誰かにとっての『「◯◯すべき」の法』に触れたから起こるわけです。
・親は子供を信頼すべき。
・子供は親孝行すべき。
・男はきちんと稼ぐべき。
・ルール(いったい誰が作った?)は守るべき。
・部屋は綺麗にするべき。
・ごはん粒は残さず食べるべき。笑
・リーダーは方向性を示すべき。
・会社はビジョンを持つべき。
・年上は年下におごるべき。
・女性は女性らしく(って一体何?)あるべき。
・人を傷つけてはいけない。
・言葉は選ばなければいけない。
別にこれを思ってはいけない!って言っているわけではなくて、
ただ「自分の中の法律に気づいてほしいなぁ」って思ってるんです。
(それは僕自身が日々、自分自身に対して思っていることでもあります。)
男として、女として、リーダーとして、上司て部下として、親として、子として、「◯◯すべきだ」「◯◯あるべきだ」「◯◯してはいけない」。
僕らは大人になるまでにこういう「自分の法律」を数多く制定してきました。
それに気づき、それを許すことで、人をもっと受け入れられるようになりますし、
自分自身の生き方も、もっと自由になるのかもしれません。
ちなみに僕の中にある、「べき」を3つだけ挙げるとすれば(もっとありますが…)、それは
・人は成長するべき!
・ルールは守るべき!
・仕事は情熱的にやるべき!
ってことですかね。
この法は僕自身も裁くし、同時にやっぱり周りの誰かも裁いてしまうわけです。
でもそれって周りの人からしたらいい迷惑ですよね?
(ホント迷惑ですね。笑)
成長するべきだ!という僕の法律を緩和するために必要なスタンス。
それは「相手が成長してもしなくても、どちらでもいいけど、自分は成長した方が『楽しい』」ってスタンス。
だから、相手や自分を裁きたくなったとき、
「どっちでも大丈夫だし、きっとどっちも正しい!」って思ってみる。
そうすることでその人自身が日々自由になっていけたら、きっとその周りの人たちも自由になるんでしょうね。
(だって、その人に裁かれずに済むんですから。笑)
まだまだ自分の法律が多い僕ですが(汗)、今週もよろしくお願いします。//
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