自分はどうありたいのか?
どの会社でも創業当初から人数がある程度増えてくると人事や給与制度に歪が生まれてくるものです。
言い方は選ばずに平らな言い方をしいてしまえば『その給与に「満足感」が伴っていない』状態ということです。
不満の声は多かれ少なかれ、直接的にでも間接的にでも、色々なところから聞こえてきます。
でも困りました。
僕はそういう人事や給与を決めるなんてこと、
今までやったことなんてないんですから。
僕は今まで月に2万円ほどは本を読んできました(これは今も同じです)。
なかには月に10万円近く本を買ってしまった月もあるほどです(きっと不安だったんでしょうね)。
そのどこかに、「給与制度」についてはいくらだって書かれていたはず。
でも、いざこういうときになってみて思い出そうとしても思い出せないんですね。
つまり今までの僕の読書はその大半が無目的なものだった、といわざるを得ないんです。
きっと無意識とか潜在意識レベルで言えばいくらだってその記憶は蓄積されているとは思うんですが、実際の現場で思い出せなければそれも意味がありません。
少し話がそれました。
『この「社則」、効果あり。』という本を読みました。
面白法人カヤックのという会社(社名は株式会社カヤック)の代表の方が書かれた本です。
この中に「社員のがんばりに、どう報いるか?」という項目がありました。
今の僕に「ど」ストライクでしたね。
給与体系や評価体系をつくる過程は「どんな会社になりたいのか?」というのと同じ作業だったりします。
会社って一度決めたことを撤回したり修正したりすることが難しいものだと思っています。
これが少人数で、日頃のコミュニケーションがガッツリ取れているなら話は別ですが、そうでない場合、変更をした後に、その変更背景の説明に奔走することになったりします。
だから、簡単には決められない。
でも、なるべく早めに決めなければならない。
成長する企業は必ず「適切なタイミングで適切な対処(決断)をしている」ものですが、その両方を図る術がないから困るんですね。
(これが適切なタイミングかもわからないし、適切な対処なのかもわからない。)
でも、きっとその会社なりの解があると思うんです。
誰に報いるか。誰を評価するのか。
どんな人にとっていい会社であるのか、ありたいのか。
先日「起こる出来事は。」で書いたとおり、こういう瞬間に僕らは問われているんですね。
別に逃げる気も、無視するつもりもないんですが、やっぱり色々と考える時間は必要です。
幸いこの世の中には僕なんかより頭の良い方々、経営者、哲学者、生物学者、経済学者さんたちがたくさんいますし、
その経験を本やメディアに残してくれていますから、きっと「それらしい答え」はいくらだって見つけられると思います。
でも、それはあくまで、それ「らしい」答えであって、それが完全な解ではないんです。
だから、「そのまま適用すればいい」ってわけではないのがまた難しいところです。
僕はできるだけ多くの精度や純度の高い情報を得て、自分の中で寝かせます。
そのうち醸成されて、昇華して何かしらの形になるんだと思います。
日々、色々なことが起こりますね。
人生でも仕事でも恋愛でも、
「どうありたいのか?」を試されて、
その先にある「自分とは誰なのか?」という問いに答えるためにあるのだと、
僕はそう思っています。
自分はどうありたいのか?
それ「らしい」答えを集めながら
自分なりの解を見つけられたらいいですね。
お互い、走りながら考え続けましょう。
とまぁ、答えにもなんにもなっていないんですが、
「答えなんてない」という答えならいつもありますから。
今日はこの辺で。 //
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