きちんと勉強する。



最近の僕は空いた時間とできたお金を、



「小説家の自分」に全面的に投下しています。



具体的に言えばそれは、



「小説の修正作業」と「書き方の勉強」です。



ということで、誰の役にも立たないでしょうけれど、



僕の「小説家」としてのあらすじと、



最近の取り組みについて、ご紹介したいと思います。




2017年に長編を書いた。




2017年に僕は、3ヶ月ほどかけて、



10万字の物語を1本書きました。



プロット(筋書き)もなく、



とにかく前に進むことだけを目的にして、



毎日少しずつ書いていきました。



苦労しながらも2ヶ月ほどで書き上げたそれを、



少しだけ寝かせたあとに、何度も何度も修正をして、



ひとまず完成に至ったのでした(2017年9月)。





で、自分で書いた物語が手元にあったら、



人は「新人賞」に応募したくなるものなんですね。



ランニングを習慣化したランナーが、大会に参加したくなるのと同じように、



避妊具を手に入れた少年が、それを使ってみたくなるのと同じように、



小説を書き上げた僕は、それを応募したくなったのです。




ということで、、。




2017年の10月、



僕は講談社さんの新人賞に、その作品を応募をしました。



そしてその結果を待つ間、



僕は「続編(2本目の長編)」を書きはじめたのでした。



(だって書きたくなったんですもん。)



それが2018年の2〜5月にやっていたことです。



この時期はとにかく「前回の2倍の量を書くこと」を目標に掲げ、



最終的に「22万字」の続編を書き上げたのでした(大枠ができただけです)。



その大枠を書き終わったちょうどその頃、



1本目の長編の「落選」が確定しました、、。





もちろん「落胆」しました。



まぁでも『ハリー・ポッター』だって7回出版社に断られているし、



スティーブン・キングも最初の作品は30回も突き返されているし、



『風と共に去りぬ』に至っては37回もNoを言われているんだから、



きっと僕の作品もまだいける可能性はあるはずだ。



そう思った僕は、



「そもそもなんで落選したんだろう?」と思って、



自分の作品を読み返してみたんです。





愕然としました(2018年6月のこと)。



これがもうぜんぜんダメで、「そりゃあ落ちるよな」というレベルだったのです。



誤字脱字は見つかるし、描写は稚拙だし、



物語が進むべき流れを汲めていないし、、。



つまりは僕は、自分がやりたいようにやっていただけだったのです。



僕が本当に「落胆」したのは「その部分」でした。



つまり、落選したことに落胆したのではなく、



読めるレベルに達していないものを送ってしまった、という、



自分の「レベルの低さ」に落胆したのです。



「夜に書いたラブレターは送るな」という格言がありますが、



やっぱり作品は、きちんと自分の中で寝かせて、



さらに推敲(すいこう)して外に出すべきだと痛感したのでした。



そしてそこからまた、ひと月ほどかけて、



僕は「直し」の作業に取り組んだわけです。



2018年7月上旬にその「直し」も完了し、



それをまた寝かせて9月に再読して、さらに修正をしました。



これでやっと再応募できるぞ!と思った僕は、



郵便局のポストに向かうのではなく、



新宿の「紀伊國屋書店」に向かったのでした。



(つづく)


言葉のちから

僕らの言葉と想いと行動が きっと世界を変えていく 少しだけいい方向に

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