鏡の中の、人。
目の前に「鏡」がある。
あなたが拳(こぶし)を握れば、鏡の人も拳をつくる。
あなたがニコッと笑えば、鏡の人も同じように笑う。
鏡に向かってムスッとすれば、鏡の人もムスッとするし、
ファイティング・ポーズをとったら、鏡の人も臨戦態勢に入る。
もちろん、そうだ。
それが「鏡」というものだ。
「相手は鏡」とよく言うけれど、
ときに僕らはそれを忘れて、
鏡な相手に怒りをぶつけてみたり、
ファイティング・ポーズを取ってみたり、
足りないと求めてみたり、自分はダメだと嘆いてみたりする。
「鏡に求めたものは、やがて自分に返ってくる」と言うけれど、
ときどき僕らはそれを忘れて、
その相手に「完璧性」を求めたり、スゴいものを求めたり。
すると不思議。相手からも「完璧性」を求められているような感じがして、
僕らは頑張って「スゴい人」になろうとしてしまう。
でも僕らはきっと、
究極的には「自分以外の誰か」になることは、できないわけで、
めちゃくちゃスゴい自分も、どうしようもなくダメな自分も、
両方あって、はじめて自分なわけで。
相手に求めたガマンは、いずれ自分を窮屈にするし、
相手にぶつけたものは、いずれ自分を傷つける。
時間差はあれど、僕らはそういう連鎖の中で生きている。
左側から来た「誰かの反応」を、
あなたは「右側の人」に、
どんな形にして渡すのだろうか?
「あの日の自分」は、目の前にいる「その人」だし、
「あの人」の現在の姿は、「未来の自分の姿」になる。
そういう視点で世界を見つめ直したとき、
あなたは、いったい、鏡に何と言うのだろうか?
どんな言葉や思いを、渡すのだろうか?
瞬間の選択は、常に僕らの手に、
委ねられている。
それでは今日も、この辺で。
きっと明日も、良い日です。
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2018.07.04 20:22