大変なのは一体だれ?


その人の発言や行動にはその人の「今」が投影されています。


たとえば「なんか◯◯さんイライラしてない?」って思ったら、

実は自分がイライラしているだけかもしれません。


たとえば「◯◯さんが何を考えてるのかさっぱり分かりません!」って思ったら、

実は自分が未来のことを見えていなかったり、自分を見失っていたりするのかもしれません。


道ばたのネコを見て、「お前も独りで寂しいんだな」って言って頭を撫でている人がいたら、

それはその人が寂しいだけかもしれません(ネコちゃん的には「別にそんなことねーっす」って感じかも)。


(そんなこともあるのかなぁ、くらいの気持ちで軽く読み流してください。)


こんなふうに自分の現状や感じていることを相手に重ねてしまうことを

心理学では「投影(性)同一視」なんて言うらしいんですが、

なぜ人はそんなふうに「自分の問題」を「他人の問題」にしてしまうんでしょうか?


簡単にかつストレートに言ってしまえば、「その問題とは向き合いたくないから」です。

(それを相手が抱えている問題にしてしまうことでその問題を直視することを避けるわけです。)


最近の自分を少し振り返ってみてください。

(ドキッとしませんか?僕は「かなり」ドキッとします。)


ちょうど親の世代が「子供の未来を案ずる」心理がこれにあたるのかもしれません。

自分の人生に閉塞感ややるせなさ、そして後悔が多い人ほど、「誰か」の人生をなんとかしたくなってしまうからです。

本当に向き合うべきは自分自身の問題なんですけど、

それを目の当たりにしてしまったらやっぱりキツいので、

問題を相手に重ねて、相手を責めたり、なんとかしようとしてしまう。


この文章を読んで心がソワソワしたり、なぜかイライラしてしまったら、

それは、思い当たるふしがあるのかもしれません。


相手を変えよう!と思って何かをすると徒労に終わることが多いので、

やっぱり自分自身が変わっていくしかないんですが、

誰かに対して「ある感情」が湧いてきたらそれを言葉にする前に少し考えてみるんです。


別にあの人は休日出勤を大変だとは思っていないかもしれません。

別にあの人は給与面のことは気にしていないかもしれません。

別にあの人は自分のこと嫌っていないかもしれません。


僕が以前、自己啓発的なことに傾倒していた時期は

「誰かを救いたい!」とか「誰かの人生をなんとしてあげたい!」って思っていました。

(本当になんとかしたかったのは自分の人生の方なのに、です。)


周りの人たちは自分の現在地を知らせるために存在してくれています。


「なんでこの人、口ばっかりで行動しないの!?」って思ったら、

それは「行動していない自分自身」にイライラしているのかもしれません。


誰かの行動や発言に自分の心が揺らされたとき、それは自分を省みるチャンスです。

そうやって、お互い日々人間的にも成長できたらいいですね。


それでは今週もよろしくお願いします。

言葉のちから

僕らの言葉と想いと行動が きっと世界を変えていく 少しだけいい方向に

0コメント

  • 1000 / 1000