洞窟の中の語り部。



その昔、遠い昔のどこか知らない場所の話。



人がまだ洞窟で暮らしていたときのこと、



その夜、人は腹を空かせ、肌を寄せ合いながら寒さを凌いでいた。



そこで、誰が「ふと」語りはじめる。



彼は「語り部(べ)」。



彼の語るその話は、人々を笑わせ、驚かせ、ときに涙を流させ、



飢えと寒さをいっときだけでも忘れさせた。



子供たちは声を出して怯え、大人たちはそれを見て笑う。



「大丈夫、これは単なる作り話なんだよ」と頭を撫でる。



そう、それは単なる「作り話」だ。



でも、その「作り話」を聞く前と聞いた後とでは



少しだけ(でも確実に)、心の場所が違っている。



僕らは太古の昔から、



そうやって物語の中に身体を通過させながら、



心と魂をここまで運んできた。



誰かがそこに「音」を乗せ、やがてそれは「ミュージカル」になった。



誰かがそれを「演じる」ことで、やがてそれは「舞台」になった。



誰かがそれを「映像」にすることで、やがてそれは「映画」になった。



語り継がれ、受け継がれ、形を変えた物語は、



そうやって、この世界に「固定」されてきた。



その「伝承と固定の歴史」の中で、



誰かが「文字」を生み出し、



その物語は記録されて、保存され、



それがいつか『小説』という形を取るようになった。





僕らは太古の昔、洞窟の時代から、



物語を心の深い場所で、求めてきた。



「ねぇ、なにか話してみてよ」と誰かが僕に言う。



パソコンを前に小説を書いていると、



誰かのそんな声が聞こえる(気がする)。



僕はできるだけ上手く「物語りたい」と思う。



語られるのあれば、物語は上手くならなければいけないのだ。



人々の心を、深い部分から揺さぶるものでなければならいのだ。



物語を通過する前と後では、見える世界が違わなくてはいけないのだ。



だから僕はできるだけ、上手く「物語りたい」と思う。



僕はこの広い世界という洞窟で、



いったい何を、語れるのだろう?



いったいどこまで、語れるのだろう?



いつか、僕の語った物語が、



あなたの心を、今とは違う場所に、



移すことができたらいいと、僕は静かに思う。



その「いつか」がいつになるかは、



わからないけれど。



さてと。



言葉のちから

僕らの言葉と想いと行動が きっと世界を変えていく 少しだけいい方向に

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