ギリギリまで潜る。



フリーダイビングという競技がある。



深く潜れば潜るほど、



肺や心臓は押し潰されて、



その機能は低下していく。



次第に血中の酸素濃度は下がり、



酸素欠乏の状態になる。





それでも選手は記録に挑もうと無理をする。



あともう少し、あともう少し。



そこにはいつも「好奇心」が見え隠れする。



もう少し先に行ったらどうなるだろうか?



もう少し先には何があるのだろうか?



だから、あともう少し、もう少し。



そうやって進むうちに、人は戻れないところまで行くことになる。



そこはある種の分水嶺。それはある種の限界点。



けれど人類はまだ、そこまで行ってはいけないのだ。



そこに到達するには強靭な肉体と、



精神によって支えられた才能が大前提として必要になる。



そしてなにより「好奇心」に打ち勝つだけのタフな自制心が必要になる。





好奇心は神が人に与えし諸刃(もろは)の剣。



好奇心は人を高めるけれど、同時に人を滅ぼすものにもなる。



僕は小説の深い部分まで行ったとき、



いつも、そこでもっと進んでみたくなる。



それはフリーダイビングの選手が、



あともう少し、あともう少し、とその先を欲するのと似ている。



でもそこには、きちんとした文体と、



その深さに耐えうる「肉体的に支えられた精神」が必要になる。



そして何より、好奇心を抑えるだけの自制心が必要になる。



だから僕はなくなく引き返す。



今の僕にはまだここまでしか書けない。



そう思って引き返す。



今の装備と肉体で、その先まで行ってしまったら、



きっと僕はもう、戻ってこれなくなってしまう。



そんな気がする。



好奇心とは本当に素晴らしいものだけど、



やたらめったに突き進めばいいってもんじゃない。





与えられたものが大きければ大きいほど、



そこには常に責任がつきまとう。



僕はいったい、どこまで潜れるのだろうか?



でも、いつかは、もっと。いつかは、もっと。



そんなこと思う、長編の追い込み作業。

言葉のちから

僕らの言葉と想いと行動が きっと世界を変えていく 少しだけいい方向に

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