「ブレーキ」の話


僕らって日々迷いますね。


なんで迷うかっていうと「正解がある」と思ってるからです。

他には「どっちが得か、どっちが損か」ということを考えてしまうこともあります。


でも経験上、損得勘定で何かをすると、だいたい残念な結果になります。


だって、そうですよね。


たとえば新しい恋人ができて、「あなたと付き合ってると自分が得すると思ったから付き合ってるの」なんて言わたら誰だっていい気はしないと思います。


これは恋人だけではなく、事象や仕事、お金、住居、アクセサリー、などの小物。

すべてに言えることだと僕は思っています。


相手(事象や仕事、お金、、、)にもし感情というものがあったなら、相手はいい気はしないはずです。


だから結果的にそれは手元からすり抜けていってしまいます。


そうではなくて「好きだ」という感情で何かを選ぶんです。


ピカソに「なぜ絵を描くのか」って聞いたり、エジソンに「なぜ研究を続けるのか」って質問したりするのはだぶん愚問ですが、

彼らがもし答えてくれるのなら「よくわらんけど好きだから」って言うかもしれません。


この「好き」という感情が僕らの人生の「コンパス」のようなものだと僕は思っています。


でもこの「好き」という感情、気を抜いていると普段の生活の中でどんどんカバーされてしまって見えなくなってしまいます。


何にカバーされてしまうのか?それが「損得勘定(感情)」や「常識」です。


こうした方がよく見られるからする、この人といた方が得だから一緒にいる、これをすると損だからしない。こっちを選ぶのが常識的だよね、、。


うーん、やっぱり、そんなのってなんだか悲しい。って思いません?


ところでその「損か得か」とか「常識」って誰が決めたんでしょうか。

学校の先生?親?兄弟?友達?元カレ?親戚のおじさん?近所のおばさん?それともテレビ番組?


それをしっかり掘り下げてみると自分の価値観が少し揺らいでくるかもしれません。

(自分は他の人の基準や価値観でものごとを判断していたのかも、、なんて思うかもしれません。)


きちんと深掘りをしてみると「どれが正しいのか?」なんてものは存在しない、ってことに気づかされます。


あるのは「その人にとっての正しさ」だけです。


でも、それより前にまずあるのは、「どれが好きか」ってことです。


そう考えると僕らの中にすでに答え(「好き」という感情)はあって、

それに従って動けない理由や言い訳を社会や人に求めてるだけだったりします。


そんなとき、どうするのか?


今回は僕が普段、身動き取れなくなったときにやっていることを紹介します。


それは「◯◯だから△△できない」というのを逆にしてみるってことです。

「お金がないから彼女ができない」ではなくて「彼女ができないからお金がない」。

さらに少し変えて「彼女ができないようにするためにお金がなくなるようにしているかもしれない」と考えてみる。


「太っているから彼氏ができない」ではなくて

「彼氏ができないようにするためにわざわざ太っているのかもしれない」と考えてみる。


なぜなら彼氏ができると困ってしまうことがあるから。

実は過去の失敗(だと思っていること)を繰り返してしまうことが怖いだけかもしれない。


痩せても恋人ができなかったらかなりヘコむことを怖がっているだけかもしれない。

お金を稼ぐと困る(と思う)ことがあるのかもしれません。

リーダーになってしまうと困ってしまう(と思う)ことがあるのかもしれません。


実は「損得勘定」や「常識」以上に自分の中の「恐れ」が決断を先延ばしにさせているだけだったり。


だから少し考えてみるんです。


「それが実現されたら困ることってなんだろう?」

って。


これに対する答え(見ていない感情)が「それの実現を遠ざけていること」です。


何かを決めたくても決めれない人は損得勘定で選ぼうとしているのかもしれません。

そうでない人も「それによって起こることをなぜ自分は恐れているんだろう?」と考えてみるといろいろとクリアになってくると思います。


そしてすべてクリアになったあと、最後に無意識くんが抵抗してくるので、それをクリアできれば未来は結構簡単に変わります。

(無意識くんの話はまたどこか別の機会で。)


また少し混乱させてしまいましたかね。


ということで今日は「ブレーキ」の話でした。


それでは今週ももう少し頑張らせていただきます。


よろしくお願いします。

言葉のちから

僕らの言葉と想いと行動が きっと世界を変えていく 少しだけいい方向に

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