「ぴったり」の話
今週は「ぴったりの話」をしたいと思います。
先週末の朝、寝ぼけ眼のキッチンでペットボトルのフタを回してたんですが、どうもうまく閉まらない。何度回してもうまくはまらない、閉まらない。
なぜならキャップを逆に回していたから。
「そりゃあ、そうだ」って思ったら、まぁその通りなんですが。
「でも、人って意外と日常でこんな感じのことやっちゃってないかな」なんてこと思ったんです。
(身の回りの色々なことに人生を投影するのが僕のいけない癖のひとつ)
ぴったり合うキャップなのに、逆に回していたばっかりに「合わない」なんて判断をしてしまったら少しもったいないですよね。
これはきっと仕事でも家族関係でも、そして恋愛にも言えることです。
(こういう短絡的なところも僕のいけない癖のひとつ)
(それはそれとして)実はぴったりなのに、なぜかそういう風に振る舞えない。
もしかしたら「ぴったり合ってしまったらまずいこと」があるのかもしれません。
素直にそれを認めてしまったら何かまずいことがあるのかもしれません。
大抵の場合、ぴったり合ってしまったら、そのまま前に進まなければいけません。
前に進むということは、つまり、色々なことを選択して、決断して、引き受けて、その先でまた選んでいかなければいけない、ということ。
(一つのことを選んだら、もう一つの選択肢を選べないかもしれない、、。)
それはもしかしたら、彼や彼女と付き合うことかもしれません。
それはもしかしたら、彼や彼女と別れるということかもしれません。
それはもしかしたら、その人と結婚するということかもしれません。
それはもしかしたら、リーダーになるということかもしれません。
それはもしかしたら、WEBやデザインを極めるということかもしれません。
それはもしかしたら、NWやDB、プログラムを極めることかもしれません。
それはもしかしたら、英語の分野で進んでいくことかもしれません。
それはもしかしたら、プログラマーではなく、PMとして進んでいくことかもしれません。
人によって「見ないようにしている分野」は異なります。
仕事の分野ではすんなり選択や決断ができるのに、恋愛ではできない。
恋愛では大きな決断ができたのに、家族との関係がぎこちない。
その道を進んでいくことのワクワクや楽しみもありますが、
それと同時に訪れる責任や面倒くささ、そして恐怖ってなんでしょうか?
一つのプログラミング言語がダメなら、また次に行けばいいや、くらいの覚悟の人は
もしかしたらその一つさえ、極められないかもしれません。
(なぜならどの道に進もうと、困難な局面は必ず訪れてしまうから。)
この人しかいない、くらいの気持ちでなければ結婚に至らないように、
そこには、「いいことも悪いことも丸っと引き受ける」覚悟が必要です。
一万円札はオモテとウラがセットで一万円札なのに、
「一万円札のオモテだけください」というお願いっておかしいと思いませんか?
セットのものの片方だけほしいと言ってもやっぱりそれは難しい。
こんな風に僕らは「何かをしたい」とか「何かが欲しい」と言ったとき、
「でも自由がなくなるのは嫌だ」とか「でも辛いのは嫌だ」と言いがちなんです。
すべてにメリットとデメリットがあって、いいことも悪いこともあるのに、です。
いずれにしても、それを選択して行動してみないと分かりません。
その選択や決断を避けて通って後で後悔するのは、やっぱり自分です。
もしかしたらそのキャップ、実はぴったりなのに、逆に回しているだけかもしれません。
実はぴったり合うってこと、心のどこかで気づいているからかもしれません。
(ぴったりなのに逆回しをして、その機会を遠ざけるのはなんだかとても悲しいことですね。)
あたなが今、避けていること。あえて逆に回してしまっていること。
それが仮にあるとしたら、それは何でしょうか?
ぴったりな仕事?ぴったりな分野?ぴったりな言語?ぴったりな相手?
そう考えると「ぴったりの話」と言いながら、実は「覚悟の話」だったりするんですね。
(あぁ、今日は何ともまとまりのない話ですみません。)
最後まで読んでくれた方に心からの感謝を。
今週は今まで避けてきたことに少しだけでもトライできる1週間にしようと思っている僕です。
それでは今週も宜しくお願いします。
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