「図星」の話
今日は「図星の話」をしたいと思います。
世の中には同じことを言われてもその言葉に反応する人とそうでない人がいます。
例えば僕なら、「太ってますね」とか言われても全然気にならないんです。自分のこととは感じない可能性すらあります(体重気にしている人、スミマセン)。
でも、「最近太りました?」とか、「意外と太ってますね」とか言われると動揺します、おそらく。
こんな風に同じような内容であっても少しニュアンスを変えるだけで、人に刺さったり、気にならなかったりするのが言葉の妙なんです。
「ガリガリですね」とか「言い方がきついですよね」とか「はっきりしない人ですね」とか「大雑把ですね」とか「こまかいですよね」とか、「スキルないんですね」とか、、。
それぞれの言葉に反応してしまう人と反応しない人がいるのはなぜでしょうか。
それが今回のテーマである「図星」です。
人から言われて傷付いたり、苛立ってしまったり、落ち込んだりすることの大半は「自分でも気づいているけど、言われたくないこと」だったりします。
別の言い方をすれば「その人が気にしていること」です。
みなさんはどんな言葉を言われると傷付いたり、怒ったりしてしまいますか?
それは身体的なことかもしれませんし、性格のことかもしれません。
それは家族のことかもしれませんし、育ちのことかもしれません。
それは学歴のことかもしれませんし、スキルのことかもしれません。
同じことを言われても傷付かない人って結局「自分との折り合いをつけている人」です。
「自分は大雑把だけど、そんな自分が好きだし、むしろ少し誇りに思っている」人は誰かに「大雑把ですね」とか「テキトーですね」って言われても大して傷付かない。
場合によっては褒められてるようにすら感じる可能性だってあります。
「大雑把な性格」が嫌いで、他に解決する方法があるとしたら「几帳面になる」くらいしかありません。
でも人の性格や行動パターンって基本的に高校生まででほぼ固定化されてしまうので、それ以降に大きく変えるのって難しいんです。
(高校時代の自分を思い出してみて、今の自分と比べてみると、、、どうですか?)
だから、大雑把な自分を受け入れて、好きになるくらいしか方法がないのかもしれません。
僕らは大人になるまでに色々な傷をそれぞれが抱えて成長してきました。
大人になってからはその傷をいかに見つけていかに癒していくかが人間的な成長のカギだったりします。
それを友人が癒してくれることもあれば、恋人が癒してくれることもあるし、将来の自分の子供が癒してくれるかもしれません。
抱えた傷を癒す過程はつまり、「自分との折り合いをつける過程」です。
人には触れられたくないこと、言えない過去、自分でも分かってるけど直せないこと、そんな様々な体験やマーブル模様の感情が僕らという個人を作り上げています。
誰かに何かを言われて、ヘコんだりイライラしてしまったり、感情的に反応してしまったときは、「実は図星なのかも」と考えて「それはなぜだろう?」と自問してみることで、人間的に成長できると思います。
どうしても折り合いをつけられない方には、最近読んだ本の一節を。
“大丈夫、あなたが自分の欠点だと思っていること、苦手だと思っていることのすべては、あなたのパートナーが持っています。まるでパズルみたいにお互いに補えますから安心してください”
へっ?じゃあ折り合いなんてつけなくていいじゃん?
それでは今週もよろしくお願いします。
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