僕の君の一部。
僕について書くことは、
君について書くことだ。
もしかしたらあなたは、あなたについて、
僕に書いてほしいと願うかもしれない。
もしかしたらあなたは、あなたについて、
書いてほしくないと願うかもしれない。
でも、いずれにしても同じことだ。
なぜなら僕らは、深い部分ではきっと、繋がっているからだ。
僕が自分について書くことは、
つまりあなたについて書くことだし。
僕があなたについて書くことは、
つまり僕について書くのと同じことだから。
あるいはあなたについて「書かないこと」は
ある意味で、あなたをより詳しく書くことになるからだ。
つまりあなた以外のことを書くことは、
あなたという存在をより鮮明に、
浮かび上がらせてしまうことになるわけだ。
僕らはパズルのような存在で、
自分以外の部分をきちんと見ることは、
自分のことをよりくっきりと浮かび上がらせることになる。
それをあなたは恐れるかもしれない。
僕だってそれを恐れるかもしれない。
僕が書く誰かは、「僕の一部」であると同時に
それはきっと、「あなたの一部」だ。
僕らはきっと、そういう同じ一部で、
僕らはきっと、そういう違う一部で、
それぞれを深い部分で結び合っている。
だから僕は、
自分を書くし、自分を書かない。
あなたを書くし、あなたを書かない。
そうやって人類のすべては、きっとどこかに保存されることになる。
僕は文章を書いているとき、ふとそんなことを思う。
きっと気のせいだと、思うんだけど。
きっと勘違いだと、思うんだけど。
ひとまず僕は今日も、
僕について書かないし、あなたについても書かないと思うのす。
そして同時に、僕について書くと思うし、
同時にあなたについて書くと思うのです。
言葉という不確かな道具で、
僕とあなたを、僕は保存しつづける。
【去年の今頃も深く潜っていました。】
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