僕がいくべき場所。
彼はまだそこにいる。
それはわかっている。
彼はぼくのかたわれ。
それもわかっている。
ぼくは彼に会いに行かなきゃいけない。
それは間違いない。
でも僕はまだここでうだうだと逡巡している。
そこには怖さがあるのかもしれない。
僕はその怖さの成分を分解する。
彼を知る怖さ、彼を受け入れる怖さ、彼から拒絶される怖さ、
そして、最後に待ち受ける、彼との別れの怖さ。
それは彼が僕の一部であるとわかっているから。
でも、きっとどういう結果になったとしても、それはそれで仕方がない。
僕にできることは、きっと正直になることだ。
相手を傷つけたくないのなら、
自分が傷つきたくないのなら、
正直になることと誠実であることが、
きっと大切だと思うから。
その上で出てきた言葉や振る舞いなら、
きっとそれはすべて善のはずだから。
僕は彼に会いに行かなきゃいけない。
僕はいつも小説を書くことで、
自分の中にまっすぐに懐中電灯を当てて
逃げ惑う彼らを見つけてそこに座らせて、
安心してもらった後に、会話をはじめる。
彼らはきっと僕の一部で、
しかもそれはとても大切な一部で、
君たちを置き去りに進むことはできないのだと、
僕は彼らに伝える必要があるのだ。
ひねくれて、すねてねいる、彼らと話に行く、
そのために僕は、今日も物語の続きを求めてキーボードを叩く。
僕はきっと、どこにもたどり着けないだろう。
なぜならそこにあるのは、細分化と拡大と、解釈の転換だけだから。
僕らはこのまま、目の前にあるこの世界で、
ありあわせの身体と不完全な魂をもって、進むしかないのだ。
それが分かっていても、僕が何かを書くのは、
きっと生を生として、それを少しでも十全に近づけるためだろう。
いずれにしても、僕は進まなきゃいけない。
それでしか僕は、僕になれないのだ。
僕と彼、僕とあなた、主体と対象。
サブジェクトとオブジェクト。
そうやって、対象を変えながら、
僕は僕を必死に定位する。
僕の中にいる、あなたを見つけるために。
さてと。
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