Re:Start
今の心の流れを描写していこうと思う。
これは簡単な日記と言えるかもしれないし、
単なるメモワールと言えるかもしれない。
いずれにしても僕は書きながら思考するタイプの人間なので、
こうして文字にすることで自分の心の位置を測るわけだ。
だから今日の文章は、物語ではなく、「自分語り」。
でもせっかく語るのだから、できるだけ誠実に、できるだけ率直に語ろうと思う。
言葉はいつでも僕の心を映し出す、鏡なのだから。
ということで、語ります。
『Re:Start』
5月10日の東京は昼過ぎまで冷たい雨が降っていた。
その冷たさは午後も続き、ランニングに出た夕方ころには、長袖でないと身震いするくらい寒かった。
長袖のトレーニング・シャツの上にランニング用の半袖を着て、
下にはハーフパンツを履いて、僕はそろそろと走り出す。
実は今日は3日ぶりのランニングだった。
大きく体調を壊さない限り、こんなに日数が空くのは正直久しぶりだ(いつもは空いても2日に抑えるようにしているから)。
なぜ、そんなに日にちが空いてしまったかと言えば、
それは単なる心的な状態によるものだ。
つまり、気分的に落ちていたのだ。
休み1日目(5月7日)は、もともとランニングを休む日だった。
その日は執筆をしてコンサルをして、夜には翻訳をやった。ブログも書いた。
しかしながら2日目は違った。1日目に踏ん張った分、2日目に反動が来たのだ。
この日は小説も書かなかったし、翻訳もしなかった。
コンサルだってない日だったから、それもやらなかった。
ブログも書かなかったし、メルマガだって書かなかった。
何をしていたのかといえば、一日中寝ていたのだ。朝から晩まで。
文字通り何もせず、腰が痛くなるくらいまで寝ていたのだ。
食べたものはパンを一枚と、ゼリー状の栄養ドリンクをひとつ。
風邪をひいたわけでもないのに。
そのくらい心が落ち込んでいたのだ。
僕は別にどこかに雇われているわけではないから、
これで誰かに迷惑がかかるわけではない。
僕は誰かに管理されることよりも、
自分で自分を管理することを選んだのだ。
会社よりも個人を、安定よりも変化を、
誰かに何かを指示されることよりも、
自発的に何かをすることを選んだのだ。
経済的な不安定さと引き換えにして。
風邪でもないのに腰が痛くなるくらい朝から晩まで寝ていた理由は、
起きていてもフワフワとした浮遊感が僕に残っていたからだ。
頭がクラクラして立っているのが辛かったのだ。
メニエールを疑ったけれども、そんな大きなもんじゃない。
きっとこれは単なる一時的なショックによるものだ。
同棲しているパートナーが夜に帰ってきたので、
僕は「応募していた文学賞が取れなかったんだ」と打ち明けた。
「ふうん」と彼女は言う。
「それが原因なのかわからないけれど、
なんだか世界がクルクルと回るんだ」僕は身体の状況を説明する。
「それはメニエールかもね。続くようなら病院にいかなくちゃね」と彼女は優しく言う。
「しかしあれね。文学賞を逃したくらいで毎回そんなふうになっていたら、
身体がいくつあっても足りないわね」
「そうだね」と僕は言う。まったくそのとおりだ。
「でもいいじゃない」と彼女は言う。「もっと良いものが書ける時間ができたんだから」
そう言って彼女は僕の方を見る。
「だって、あなたはこのくらいで書くのをやめたりしないでしょう?」
そうだ。そのとおりだ。
僕は別に誰かに頼まれて書き始めたわけではないのだ。
自分が折れてしまわない限り、きっと僕は書き続けるのだ。
「ありがとう」と僕は言って彼女に感謝する。
『言葉』というものは、人が人を救うためにあるのだ。
たとえば彼女が僕にしてくれたみたいに。
*
それが一昨日のこと。僕が一日中寝ていた日の夜のことだ。
昼間に寝すぎたために、夜は断続的な眠りを何度か繰り返して、
気付けば翌日の朝になっていた。
3日目の朝が来たのだ。
朝にはトーストとコーヒーを作って、目玉焼きを焼いた。
仕事に出る彼女を見送って、僕はひとり作業机の前に座る。
僕は自分を回復する必要がある。そう思った。
だから午前中は偉人たちが屈強を乗り越えた動画をたくさん見た。
イチロー、孫正義、ジョブズ。
ゲイツにマスクにハワード・シュルツ。
そんな人たちの『言葉』を聞く。
やはり言葉は、人が人を勇気づけるためにあるのだ。
しばらくして僕は「今の心の中をひとまず文字にしてみよう」と思う。
まずはブログを書いて、それからメルマガも書いた。
午後になってまた小説の続きが書きたくなった。
だから僕は少しずつ文字を重ねて、物語の続きを探した。
3時間と少しかけて結局2,500字で書いて僕は手を止めた。
最近の1日分のノルマは3,000〜3,500字と決めていたけれど、
今日は2,500字で書くのをやめた。
これ以上書いたら、「書く面白み」が減ってしまう気がしたからだ。
ランニングだって、小説だって、誰に頼まれたわけでもないのに始めたのは、
その根底に「楽しさ」があったからだ。
でもその楽しさは、いつも「苦しさ」とセットになっている種類の楽しさだった。
楽しいことがすべて、ラクなこととは限らない。
そういうことだ。
そうやって僕は回復の日を過ごした。
動画を見て、ブログとメルマガを書いて、小説も書いて、翻訳を少しだけやって、
夜には読書をして、酒を飲んでぐっすりと眠った。
けれどこの日も、ランニングはしなかった。
日が明けて、4日目の今日(2018年5月10日)、
僕は久々のランニングに出かけた。
その前にメルマガと小説を書いて、軽く昼寝もした。
東京は朝からしばらく雨が降っていたせいで、
夕方近くにはずいぶんと寒さが増していた。
僕は長袖の上に半袖を着て家を出た。
足元にはひと月ほど前に専門店で買ったランニング・シューズが履かれている。
足のサイズや「癖」を計測をして買った靴だ。
「今日は7.5kmをゆっくり走ってみよう」と僕は思う。
どうせ僕は明日も走るのだ。そしてきっと、明後日も。
そのために「楽しさ」は一番大切なことのはずだ。
だから今日は「楽しさ」を優先しよう。
僕はそう考えた。
自宅から神宮外苑までは1.2kmほどある。
僕は最初の200mは流しめに走り、
そこからストップ・ウォッチのボタンを押してランニングを開始する。いつものことだ。
夕暮れの千駄ヶ谷の街、新宿御苑沿いの首都高と並ぶ道。
僕はルノアールの前を通過する(『1Q84』に出てきた店だ)。
スーツ姿の人と、OLらしき人。
彼らは会社に戻るのか、それとも家に帰るのか。
いずれにしても彼らの大半は自分が属する場所に帰るのだ。
僕はどこにも属さない(属すことのできない)人間だ。
そんなことをふと思う。
そして、同時に「仕方ない」とも思う。
僕にはそういう生き方しかできないのだし、
同時に、そういう生き方を望んだのだから。
ペースをいつもより遅めにして走る。
津田塾のある交差点を渡ったあたりで工事関係者の姿が増える。
東京オリンピックに向けて、国立競技場を新しくしている人たちだ。
彼らの1日やりきった顔が僕は好きだ。
*
神宮外苑まで来たところで時計を見る。
タイムは予定通りだ。僕は息を整える。
キロ5分半くらいのペースだからいつもよりも疲れない。
このくらいが景色や人を観察するのに(そして何かを考えるのに)ちょうどいいペースだ。
部活動でそこを利用する学生がいる。
仕事を早めに切り上げてやってきたサラリーマンらしき人がいる。
どこかのランニング・チームがいる。主婦らしき人がいる。
ものすごいペースで走るプロのような人がいる。
人々はここに「それぞれの目的」を持ってやってくる。
僕はどんな目的を持ってここを走っているのだろう?
僕は「長期的に書ける」身体を作るためにここにいる。
誰かに文章で「別の視点」を伝えるためにここにいる。
相反するものが「統合される物語」を書くためにここにいる。
光と闇の「両方」を書くためにここにいる。
人の心の闇は深く、そして危険な場所だから、
それに耐えられる身体づくりをここでしている。
そんなことを思いながら、僕は少しだけペースを上げる。
チームで走る人がみんな同じシャツを着ている。
僕は彼らを追い抜きながらその背中を見る。
夕闇に溶け込みそうになりながら文字が目に入る。
「Re:Start」。
そこにはそう書かれていた。
そうだよな、と僕は思う。
ひとつ賞が取れなかったくらいで、終わってしまうことではないのだ。
駄目だったらまた始めればいいのだ。
僕らはなにかをしようとした「その日」が、人生でいちばん若い日なのだから。
なにより僕には、書きかけの長編がある。
ひとまずそれに全力を尽くしてみよう。
そろそろその長編の終わりが見えたから、
コンサルの枠ももう少し増やせるだろう。
僕はこんなところで止まっている場合じゃない。
僕が行こうとしている場所は、ずいぶんと遠い場所なのだ。
でもそこに辿り着くには、「目の前の、この一歩」が不可欠なのだ。
ここが僕の選んだ「主戦場」なのだ。
神宮外苑を4周して帰路につく。
帰りに親子連れ自転車に抜かされそうになる。
母親は後ろに乗せた子供に何気ない質問を繰り返す。
「今日の午前中は雨が降ってた?」
「うーん」と子供は少し考える。
「降ってたよ」少女は答える。「でもごはん食べて外に出たら、やんでた」
少女はその手にオロナミンCを持っている。きっとご褒美みたいなものだろう。
幼稚園もそれなりに大変なのだろう、と僕は思う(もしくは何かの習い事の帰りなのかもしれない)。
母親が少女にまた何か質問をしている。しかし少女はそれに答えない。
なぜなら少女は、並走してランニングをする僕を見ているからだ。
彼女は僕の方をじっと見ている。
僕は横目にそれを見る。
彼女の手には栄養ドリンクが持たれている。
舗装路の段差で、自転車ががたんと揺れる。
母親が不思議がって彼女の名前を呼ぶ。
しばらく並走した僕は自分のペースが上がっていたことに気づく。
きっと僕は必死になって自転車と一緒に走っていたのだろう。
僕のその様子を、彼女は不思議そうな顔で見ていたわけだ。
僕がペースを落とすと、彼女たちの自転車はあっさり僕を置いていき、
二人の会話が再開された。
それはきっと何気ない話だろう。
でもそういう「何気ない日常の積み重ね」が僕らには重要なのだ。
何気ない、どこにも行き着かないような会話や、やりとりが。
夕闇はドコモタワーを飲み込み、人々は家路を急ぐ。
この一連の心の移動を文章にしてみよう。
ゴール地点が近づき、僕はふと思う。
きっと僕は、明日も明後日も、なにかを書き続けるのだろう。
自分の場所を定位して、心を現実世界につなぎとめておくために。
誰に頼まれたわけでもない「何か」を、
この世界に置き残すために。
(おわり)
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