書くことと、走ること。



最近、また長編を書いています。



今はひとまず4万字程度のところまで来ました。



原稿用紙でいえば、だいたい100枚くらい。



今回の内容はきっと450〜500枚くらいになる、そんな予感がしています。



とは言え、書いたもののうち2〜3割は機械的に削除しますので、



分量的には500〜550枚分くらいは書く必要があります。



はたして僕は、今回も最後まで走れるのでしょうか?




7枚半と7キロ半




毎日3000字と7.5kmのランニングを自分のタスクにして、コツコツと歩みを進めています。



3000字は原稿用紙で言えばちょうど7枚半です。



そして僕が走る距離は約7.5km(7キロ半)です。



どちらも同じ数字(7.5)ですが、偶然の、たまたまです。





昨年、小説を書きはじめたとき、僕は春樹さんの真似をして、



1日4000字(10枚)と、10キロを自分に課していた時期もありましたが、



そのときは結構キツかったので、今は7枚半と7キロ半に落ち着いています。



7枚半だと僕の中の井戸(みたいなところ)が枯れることなく、



翌日、またそこに溜まった水を汲んで言葉にしていけるのです。



でももしもこれが10枚だと、その水が枯れてしまう恐れがあるのです。



「井戸が枯れる前に書くことをやめれば、翌日にはまたそこに水が溜まっているさ」



そんなことを言ったのはたしかヘミングウェイだと思うのですが、



僕もこれを参考にして、毎日水を切らさぬように、言葉を積みかさねているのです。





でもこれは、物語がドライブする「以前」の話です。



物語がドライブして勝手に色々なことが動きはじめれば、毎日10枚くらいは書けると思うんです。



(そしたらもちろん10キロ走る必要ができてきます。)



しかし今は「たくさん書けそうなとき」でも、あえて7枚半でやめて、神宮外苑にランニングに行くのです。



明日に水を取っておくためです。



ランニングもそうです。今日は「もう少し走れそうだ」という日でも、あえてセーブして帰ってくるのです。



明日に体力を温存するためです。




書くことと、走ること




僕が文章を書くとき、さらさらとあっという間に書けてしまう日もあれば、



まったく景色が浮かばずに、Macの画面が1時間前とたいして変わっていないこともあります。



ランニングもそうです。そこには順風のときがあり、逆風のときがあります。



ポカポカとした日があったと思えば寒波の日があります。灼熱の日だってあります。



それでも、7枚半と、7キロ半を可能な限り自分に課して、それをコツコツ進めるのです。



それが以外はコンサルをしたり、読書をしたり、ブログやメルマガを書いたりしています。





気づけば春がもうすぐそこまで来ていますね。



僕は今の長編を書ききったとき、いったいどういう場所にいるのでしょうか?



もしかしたら、書ききったところで、僕はどこにもたどり着けないし、何者にもなれないかもしれません。



それでも、きっと「なにか」を得られるだろう、と希望しながら、今はただ進んでみるのです。



悲しいのは希望を失ってしまうことです。



だから今の僕の状態は、わりに悪くないと思うのです。だって、毎日そうやって明日に希望することができるのですから。



明日も、文章が書けるといいなあ、と思います(もちろんきちんと走れたらいいとも思います)。



僕は僕のまま、もっと僕になりたいのです。



それでは今日もこの辺で。



きっと明日も良い日です。



------------------------------

メルマガやってます。

↓↓↓

登録はコチラから。

------------------------------

言葉のちから

僕らの言葉と想いと行動が きっと世界を変えていく 少しだけいい方向に

0コメント

  • 1000 / 1000