また書き始める予感。




きっと僕は今年(2018年)の2月か3月あたりから「次の長編」を書き始めるのだと思います。



前回書いた長編は昨年10月に講談社の新人賞に応募して、僕はずいぶんとさっぱりとしました。



13万字分書いたその作品は字数制限の関係で10万字程度まで減らして、出版社に送ったのですが、



そのあと、しばらくして「物語の続き」が気になりはじめたのです。





最初の作品で24歳だった主人公は、次の作品でおそらく28歳になっていると思うのです。



28歳、それはカレンダーが1周する歳です。



僕らが28歳の1年のカレンダーは、



僕らが0歳のときのカレンダーと、



1月1日〜12月31日の「日付と曜日」がすべて一致するのです。



0歳のときのカレンダーがふたたび戻ってくるのです。



つまり、「2度めの0歳」だと僕は思うのです。



28歳〜29歳、それは占星術的にはサタンリターンの歳であり、転機の時期なのです。



28歳は坂本龍馬が勝海舟と出会った歳であり、



29歳は村上春樹さんが処女作を書き始めた歳です。



僕の物語の主人公も次の作品では28歳になっているのです。



きっと彼もそこで、なにかを経験するのでしょう。



彼は24歳からの数年で何を経験したのか、そして28歳の1年で何を経験するのか?



それはまだ僕にもわかりません。



でもきっと文章を書き始めてしまえば、わかるはずです。



最初の3000字が、次の3000字を連れてきてくれるはずです。



すべては連続性のなかにあるはずです。







今回は、書き方も、その直し方も、そしてバランスのとり方も、



きっと以前よりはうまくなっているはずなのです(その訓練を僕はここ数ヶ月、集中的にやってきたのです)。




けれど、唯一、書き出しだけがわからないのです。



いったい、どこから書き始めればいいのか? それだけが僕にはわからないのです。




だからひとまず、僕は短編を書いてみるのです。




今僕は何を思っているのか、心のどの部分が開かれていて、どの部分が閉ざされているのか。



僕の中のどの部分が温まっていて、どこが冷え固まっているのか。



どこの部位がほぐれていて、どの部位がこわばっているのか。




それらを文字を書きながら1つひとつチェックしていくのです。




それはランニング前に身体を点検する作業に似ています。




走るために必要な主要な部位を伸ばしたり、ほぐしたりして、「自分の状態」を確認するのです。



でも、実際は走ってみないと、自分の筋肉量や持久力なんてわからないのです。




そして走ってみたら、盲点が見えてきたりするのです。



でも一度長距離を走りはじめてしまったら、ゴールするまで歩けないのです(それがマイルールなのです)。




一定の速度をキープして、自分の中に意識を集中して、エネルギーの消耗や自分のバランスを必死に取るのです。




だから今はそのための準備運動として、僕は短編を書いてみるのです。



決まった時間にマグカップにコーヒーを満たして、机に向うのです。







僕はまた、長距離を走らなければならなくなる。




それは漠然とした予感として僕の眼前に立ちはだかっています。



そしてその予感は同時に僕の希求するところでもあるのです。




そう、僕は「書きたがっている」のです。




それは決して楽なことではないし、誰かがほめてくれるわけでもないし、書いたところでどこにも辿り着けないかもしれないのです。




それでも僕は書きたいのです。それは渇望感にも似た気持ちです。




今度はどれくらい走り続けるのか? それはわかりません。




でも長編を書いているとき、「この物語はここで終わりだ」という箇所はだいたい直感でわかります。




でも今は、「それ以前の問題」です。




だから僕は寒い中で、またその準備運動をはじめるのです。




漠然とした予感と、渇望感と、淡い期待で、心を満たしながら。




まるでマグカップに、コーヒーでも注ぐみたいに。




そしてあなたもきっと、僕のように、




思い立って何かを始める日が近づいているのだと思うのです。




そんな予感が、あなたにも、しませんか?




そのときが、きっと、そのときです。




さてと。




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言葉のちから

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