好きと言わずに「好き」と言う。
What'm I thinking about now? 僕は今いったいなにを考えているのか?
言葉で心を定位することなんて難しすぎるし、今はしたくもない。
自己啓発やビジネス書みたいに太文字がところどころに混じっているものは書きたくないし、今は読みたくもない。
もし僕がそれらを作るのなら、きっとまったく無意味なところを太文字にして読み手を混乱させるだろう。
Anyways, ところで、By the way, 小説を書く作業はパズルと同じだと思う。
ここにパズルがあるとする。そこには9つのピースがある。
黒いピースが1つと、それを囲む白い8ピースだ。そのうちのあなたはどれを語るだろうか?
黒い部分をダイレクトに言うのがビジネス書や自己啓発書なら、
小説はその周りのピースを一つ一つ丁寧に描写していく作業だと思う。
それでも周りをきちんと書ききることができたなら、きっと黒い部分は自然と浮き彫りになる。
だから上手い作家はパズルの「黒いピース」は決して言わない。書かない。語らない。
でもこれは、読み手にも苦労を強いる。だから広がり方はかなりゆっくりだ。
(でもだからこそ伝わるものがあると僕は信じています。)
ここにパズルがある。あなたはそのなかのどの部分を語るのか?
どの部分から手を付けるのか?
I love you. を「月が綺麗ですね」と漱石は訳したみたいだけれど、彼がやろうとしていたこともそういうことなのかもしれない。
人は誰かに「好き」という言葉を使わずにどうやってその思いを語るのだろうか?
たとえば、こんな感じだろうか。
「昨日、古びたニットをタンスの奥から引っ張り出しました。ふと鼻を近づけてみたら、去年あなたと一緒に歩いたときに染み込んだイチョウ並木の匂いがしました(気のせいかもしれませんが)。
夏はすっかり僕らの町から去ってしまって、秋の空気があたりをすっぽりと覆っています。次第に空も高くなり、そのうち息も白む冬が来ますね。毛糸の帽子を深々とかぶったあなたの赤い頬を思い出します。」
追伸:コーヒーの湯気ってなんであんなに神秘的なんでしょうね。また手紙を書きます。
うーん、こんな短い手紙で、気持ちって伝わるんだろうか? それはわからない。
僕は自分の中にある「黒いピース」を明らかにするために、その周りにあるものをこれからも描写し続けるのだと思います。
ひとり静かに、コツコツと。時間の重みをこの手に感じながら。(Essay 25 おわり)
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