英語ってむつかしい。
僕が英語を真剣に勉強しはじめたのは社会人になってから。
それまでは英語には苦手意識があって(今もそれは変わらない)、まるで猫がチーズを避けるように、なるべく英語を避けて人生を生きてきた。
というのも僕が中学1年生のとき「英検5級」にクラスで一人だけ落ちたという苦い記憶があり(トラウマと言っていいと思う)、それ以来英語から離れて生活することを心に決めて日々をごしてきた。
それでも授業や試験勉強は避けられないから、「それなり」にやってなんとか凌(しの)いできたけれど、社会人になったら嫌いない科目はやらなくていいと思っていたので、新卒で入った会社で英語を使うことになったときは正直面食らった。
しかも「お前は部署内で一番若いのだから英語ができるはずだ」という訳のわからない大人の理論で「英語関連メール対応は高木がやる」という流れになり、そこでようやく僕も降参し、本腰を入れて英語を勉強したのである。
まずは英検5級の本(中1レベル)の教本を買ってbe動詞と一般動詞を学び、それが終わると英検4級(中2レベル)の教本を買って、過去形や不定詞、比較級を学び直した。
このあたりから徐々に勉強が面白くなり、英検3級は比較的スムーズに終えた。
その後も勉強は進み、ついに英検2級(高校卒業レベル)の勉強を終えた頃には「よし、英検を受けてみよう」という意志のようなものまで出てきていたのだから人間わからないものである。
(そして僕は人生二度目の英検を受験し、それをギリギリでパスした。24歳のことだ。)
その経験から「英語ができなかった僕が英語ができるようになれたのだから、きっとこれは人に教えることもできるはずだ」という思いから塾講師になってしまうのだから人生なんてほんとうにわからない。
しかしその塾は正社員で講師を雇って育成し、授業の質を徹底的に高める、というコンセプトの塾だったから、とても面白くもあったけれど、おなじくらいハードだった記憶でいっぱいです。
まぁでもそれが最終的に「カナダでワーホリをする」というところに至り、カナダを舞台に長編小説を1本書き上げるところまでいくのだから、人生はほんとうにわからない。
だからあなたの人生だって、これからどう転ぶのかなんて、ほんとうにわからない。そのへんはもうお互い様ですね。こうなったら、楽しむほかありませんよね。まったく、人生ってやつはもう。(Essay 20 おわり)
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