なんだかなぁ、もう。
なんだかいろいろなものが、早くなってきた時代。早く、早く、早く。
ますますいろいろなものが、速くなっていく時代。速く、速く、速く。
それは僕らが求めたものだろうし、実際に求めているものだろう。
そしてなによりその恩恵を受けているのは、まぎれもなく、僕たちの方だ。
それでも、ときどき虚しくなる。「なんだかなぁ、もう」と言いたくなる。
即日、一瞬、あっという間に。瞬速、最短、瞬く間に、、。
SNSがメディアと化した今だからこそ、
人と人の間をゆっくりと循環しながら広がっていくものが、僕は作りたい。
「時間をかけて広がったもの」や「時間をかけて積み上げられたもの」を僕は大切にしたい。
「時間がその大きさを証明するようなもの」を僕は作りたいし、「時間を味方に付けて生き残ってきたもの」を僕は選びたい。
それは音楽かもしれないし、小説かもしれないし、絵画かもしれない。
一瞬で理解できるものではなく、時間をかけてじっくり身体に染み込むもの。何度も読み返すもの。何度も聴き返すもの。見返すもの。僕はそいうものが作りたい。
だから僕自身、じっくり時間をかけて物事を整理して、ゆっくり理解する必要がある。
もちろん「たちまち10万部」もスゴいことだし、それは今まで時間をかけて信用を積み上げてきた本人の努力の賜物なんだけれど、僕はやっぱりそういう「瞬間的なこと」はしたくないし、「瞬間的なもの」は作りたくない。
あなたはどういう世界がいいんだろうか?
どんな人と会うと嬉しくて、どんな場所にいると落ち着いて、どんなことをしていると没頭できるんだろうか?
結局最後は「自分がどうしたいか?」だし、「自分がどんなものが好きか?」とか「どんな世界がいいのか?」という、極めて個人的なところに収束していくんだと思う。
でも、それでいいと思う。
そうやって「自分化」が進んだ個人が集まった小さなコミュニティー。
それらがお互いの存在を尊重し合いながらバランスをとっていく社会。
そういう世界が僕は見たい。
時間をかけてなにかを積み上げていくには、忍耐とお金と大きな愛が必要だと僕は思います。
「なんだかなぁ。もう」という感情を掘り下げると、意外とこんなところにたどり着くので、わからないもんですね。なんだかなぁ、もう。(Essay 18 おわり)
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