わすれんぼう。



僕は比較的物事をうまく覚えていることができない性格らしく、日常のことをことごとく忘れてしまいます。



それは日常の些末な出来事や誰かに言ったこと、誰かと行った場所、映画のタイトルや俳優さんの名前など、とにかく片っ端から次々に忘れていきます。





誰かと話していて、「そんなヒドイこと言うやついるんだねぇ」と僕が答えたら「それ、あなたが言ったのよ」と言われてドキッとしたことがあります。



とくに文章においてはその傾向がますます強くなり、以前書いた小説の内容をほとんど忘れてしまいます。





僕は小説を書くとき、一切プロット(筋書き)を書かずに物語をつくりますが、



ある程度のところまで物語がドライブしだすと、あとは勝手に物語が展開していくので、それを追うのに必死になり、振り返っている暇がなくなります。



(面白い映画を観ているときって、「あれ?10分前になにが起きたっけな?」っていちいち考えませんよね。それと同じです。)



小説を書く時期は毎日決まった分量を書くようにしているので、前日に書いた内容を読んで「へぇ」とか「なるほどねぇ」とか思いながらまたそこに入っていって、続きを書いていきます。



DVD(いつか死語になるのかな?)を観ているときに途中で【 || 】ボタンを押して一時停止をしたあと、



そこで一旦立ち止まって「このあとどうなるんだろう」って考えてからまた【▶】ボタンを押す。そんなイメージです。



執筆しているときはこれにさらに【◉(録画)】ボタンが加わることになります。





そうして一通り書き終えたあとは、何度も何度も気が遠くなるくらい読み返していろいろと整える作業に移ります。



このときは物語の流れや描写をすごく鮮明に覚えていますし、登場人物が僕の生活のすぐ傍にいたり、彼らが僕に同化することさえあったりします。



しかし、一通りそれらの作業が終わってしまうと、彼らは僕の中から出て行ってしまい、それといっしょに書いた内容もほとんど忘れてしまいます。



あとに残るのは「どうやらそれを書いたらしい」という記憶だけです。



(今日こうしてここで書いたことも、きっとPCの前を離れたそばからすぐに忘れます。これはもう確実に。)



いいんだか、わるいんだか、僕はそういう人間です。でも小説家って記憶がけっこう重要な財産になる職業なのになぁ。(Essay 6 おわり)

言葉のちから

僕らの言葉と想いと行動が きっと世界を変えていく 少しだけいい方向に

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