答えのある場所。



答えはいつも相反するものの間にある。



僕と君の間に。



絶望と希望の間に。



コミットメントとデタッチメントの間に。



そしてその中間地点を



僕はできるだけ、僕から「遠く離れた場所」に見つけたいと思っている。



そのためにはやはり、どこかに深くまで潜っていく必要がある。



海面と100mの中間地点は50mのあたりだけれど、



200m潜れば僕は100mのあたりに、それを見つけられる。



深い「中間地点」はきっと、



深い「カタルシス」を生む。



そういうことだ。





僕はそうやって、深い場所で君と出会いたい。



心の深くに、僕らが抱える恐怖や醜さや、



それらを受容するからこそ、はじめて見える希望や。



本当の希望は単なる楽観ではなく、



そこにはいつも絶望に対するコミットがある。



だから僕は深くまで降りていく必要がある。





物語を書いていてそこに滞在する時間が長い日や、



そこに深くまで潜った日は必ず、身体を追い込む。



いつもより速く走るか、長い距離を走るか、



もしくはその両方を自分に課す。



それは根性論でも精神論でもなく、



かなり本能的なものに近い気がする。



頭の中に存在する「見えない世界」に長く居たのであれば、



現実的な物理世界でそれを調整する必要があるからだ。



感情や心を「現実」に引っ張り上げて、



船着き場の杭にロープをかけなければ、



僕の精神はきっと、



荒れ狂う海の上でわらわらと行き場を失ってしまうだろう。



僕の技術も精神も肉体も、



まだまだその世界に見合うフォルムではないことを、



僕は誰に言われるでもなく、理解している。





そして僕は、今日も潜り、滞在し、描写する。



それが終われば地上で走り、現実に戻ってくる。



僕にとっての「答えのある場所」は、いつもそういう場所だ。



ずいぶん遠回しで気取った言い回しで申し訳ないけれど、



今はそれも、仕方がない。



深く潜っている今は、少し気が狂ってしまっているのだから。



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言葉のちから

僕らの言葉と想いと行動が きっと世界を変えていく 少しだけいい方向に

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