分水嶺(ぶんすいれい)
分水嶺。
ぶんすいれい、と読む。
雨水が異なる水系に分かれることを比喩して、
物事の方向性が決まる分かれ目、という意味で使われる。
人生にはきっと、そういう「分かれ目」が存在している。
あなたにもそういう瞬間が、人生で幾度かあったはずだ。
あのときこうしていなかったら、今の自分はない。
あのときこうしていたら、今こんなことにはなっていない。
それはポジティブでもネガティブでもなく、
その事実が、ただそこにあるだけ。
きれいな花があるわけではなく、花がただそこにあるのと同じように。
分水嶺に到達したとき、もしくはそれに近づいたとき、
僕らはそれを、本能的に察知する。
そういうセンサーが僕らには備わっている。
それはある年齢の場合もあれば、
転職や失業、結婚や離婚、出会いや別れの場合もある。
でもそれが分水嶺であることを、僕らはなんとなく察している。
そして驚いたことに、どちらに進むべきかも、きちんと分かっている。
ただ、そこで僕らが決められないのは、
失うものがあったり、傷つけてしまう人がいたり、
愛されないのではないか、という恐怖があるからだ。
自分が傷つくよりも、人を傷つけてしまう方が残る傷は深いし、
誰かを愛するよりも、誰かに愛されない方が孤独は大きくなるから。
でも、最後にはやはり、そんな「外」のことなんて関係なくて、
一番大切なのは自分の「内」なる声の方だ。
たとえ、誰かを傷つけたとしても、
たとえ、何かを失ったとしても、
たとえ、誰かに愛されなくても、
それでも、行きたいかどうか。
そして、何より、あなたの心は何と言っているのか。
それを聞くことだ。
人間の一生は、たしかに長いかもしれないけれど、
「永遠」と比べたら「一瞬」でしかないのだから。
不思議なタイミングで、
まるで何かに引き寄せられるように、この文章を読んでいるあなたは、
きっとすぐそこに「分水嶺」を控えている人なのかもしれない。
今までの自分とは大きく人生が変わるその「分かれ目」に、
もしあなたが直面していたら、最後は心で決めてみよう。
色々なことが手遅れになってしまう、その前に。
どちらの未来を、あなたは選ぶんだろう?
どちらの未来を、僕らは選ぶんだろう?
目を閉じて、静かに心に聞いてみる。
きっともう、答えは出ているはずだ。
どんな状態でもきっと進める。
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