炎上騒ぎ。
こんにちは。ケニーです。高木です。どうもです。
さてさて、ぼちぼち、長編を書き始めているんですが、
これがどうなることやら(正確にはどういう結末になるのか)、僕にもさっぱり分からんのです。
もちろんハルキ式を踏襲(トウシュウ)しているので、
・毎日決まった時間に座り、
・毎日決まった分量を書き、
・毎日ランニングか水泳を、
いちおしてはおります、はい。
だかといって素敵な文章が書ける保証なんて、どっこにもないんです。
この方法で簡単に書けるんなら世界中のランナーやスイマーたちが
たちまちにオモシロイ小説書いてますよ。ほんとうに。
(こんなふうにランタン片手に暗闇を進む心地で書いております。↓)
物語の結末が分からん理由のひとつに、
僕がプロット(筋書き)を書かないことが挙げられるかもしれません。
(もちろん、「こんなことが起こりそうだ」ということはある程度見えてはいます。)
「よしもとばなな」さんの本をいくつか読んだことがあります。
彼女の小説こそ、不思議な雰囲気のものが多いから
プロットなんて決めないで、それこそ天から降りてきたイメージに従って、
直観とセンスでバシバシ書いているのだ!と思っていました。
が、それは大きな間違いでした。
「けっこう綿密にプロットを書きます」というお話を以前聞いてビックリした覚えがあります。
僕がいつもプロットを書かないのは村上春樹さんがそういうスタイルだってこともありますが、
なにより、その方が書いていてオモシロイからです。
自分も読者になれる感覚がやっぱりたまらんのですね。
お子さんがいらっしゃる方は分かるかもしれませんが、
彼ら(彼女ら)を膝の上にのせて、目の前で本を開いてあげると、
自分で次のページを開こうとするんですよね。
あれは本当に興味深い行動です。
人は本能的に「次の展開」が気になる動物なんだと思います。
だから僕も小説を書くときには(それこそ子供のように)、
次の展開を期待しながら書き進めたい。
そんな無邪気な心で書いたら将来の読者の方に怒られちゃいますかね。
まぁ、でも先日Yahoo!ニュースで特集されていた恩田陸さんも
「私は読者のなれの果て」と語っていたように、
物語を書きながら同時にそれを楽しむことは、
ある意味で作家には必須の要素であるかもしれません。
僕も、書くときはやっぱり自分が読んでいて楽しいものをなるべく書きたい。
だからひとまずこのノンプロットスタイルでやってみようと思っています。
これでダメなら別のスタイルで勝負するまでです。
小説家なんて生き方みたいなもんだから、やめるとかやめない以前に、
それ以外に僕はたぶんもうなれないなんだと思います。
ということで、タイトルの「炎上騒ぎ」に関しては、また別の機会に書きま〜す。笑
他のタイトルが思い浮かばなかったので、そのままでいきました。スンマセン!
さてと。
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