SUDDEN FICTION 〜超短篇小説7_2 〜
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この文章は僕が最近書いていた
短篇(18,000字程度)の一部を
抜粋したものです。
ここに掲載するのは
そのうちの10分の1程度です。
(2回に分けて更新します。)
それではお楽しみください。
#前回分を読んでいない方は
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「タケル。丁寧に生きることよ」彼女は、politely(丁寧に)と言った。
「丁寧に生きるのは、ゆっくり生きるのとは少し違うわ。もちろんそれは、怠けるのとも、急ぐのとも違う。
それは、その日、その瞬間にできることをただするだけなのよ。
別に必死になる必要なはいの。徹夜だってする必要もないわ。
人はときどき、急いでとか一息にとか、とにかくやりすぎてしまうのよ。そうするとね、あとで必ず反動がくるの。
身体を壊したり、人からあることないこと言われてしまったりね。自然の摂理とはそういうものよ。
だからね、丁寧に生きてみるのよ」
アンニャさんはふたつのカップにポットの残りを注いだ。
「でも、丁寧に生きるとね、自分がどれほどの人間なのか、わかってしまうことになるの」ポットをテーブルに戻しながら彼女は言った。
「自分はどれほどの人間で、どういう状態のときにどれくらいのことができるのか。
それを知ることになるの。
でもね、それを知っておくとおかないのとではその先の人生が大きく違ってくると思うの。
それを知ることは、ときにとても怖い作業よ。
だって、それは自分がいかほどの人間かということを直視することになるから。
でもね、もし仮に自分に何もないということがわかっても、結局人はそこからしか始められないのよ。
何か持っていたら持っていたで、それは同じ。やっぱり、そこから始めるしかないの。
だからタケル、丁寧に生きることよ。丁寧に生きて、見極めるの」
「見極めるんですね」
そうよとアンニャさんは言った。「そこから始めるの」。
僕にはできるんだろうか?
丁寧に生きて、自分と向き合って、自分がいかほどの人間かきちんと見極めることが。
できる気もしたし、できない気もした。やってみるほかないのかもしれない。
「忘れてはいけないことはね」とアンニャさんは続けた。
「その自分の程度と自分の価値はイコールではないということなの。決してイコールではないの。
何もできない自分がつまり価値がないかっていったらそんなことはないのよ。
子供だって、何もできなくても、その存在に価値があるでしょ?
それと同じ。わかった?ちょっと言葉が過ぎたかしら」
いえ、と僕は言った。そして「やってみます」とも加えた。
それからまたしばらくふたりは沈黙した。
「あとは自分がやってみるだけだ」と僕は思った。
本と紅茶のお礼を言ってキャビンを出ようとしたとき、アンニャさんが少し重みのあるガラスの塊を渡してきた。
「新作よ。それの底にいる猫ちゃんがタケルに似ている気がするの」
届いていた本とそのガラスの塊を上着のポケットに入れて、僕はキャビンをあとにした。(短篇につづく、、)
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