SUDDEN FICTION 〜超短篇小説7_1 〜
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この文章は僕が最近書いていた
短篇(18,000字程度)の一部を
抜粋したものです。
ここに掲載するのは
そのうちの10分の1程度です。
(2回に分けて更新します。)
それではお楽しみください。
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僕はそのまま、言葉を探し続けていた。
自分の中にある淀みのようなところに堆積した思いを表現するための言葉だ。
僕は両手ですくうようにして、その淀みの中に手を入れてみた。
それはドロっとしていて、皮膚を通り抜けて身体の中に入ってくるような妙な浸透性を帯びていた。
その堆積物は赤とも黒ともとれる色をしていた。
それは誰かの血でも混ざっていそうな色だった。僕の血ではない。これはおそらく誰かの血だ。
それが僕には分かる。直観的に分かるのだ。でもなぜそれがわかるのか不思議だった。
いずれにしても僕は、自分の中に流れる深い川の存在に気づいているのだ。
そしてそのところどころには、淀みがあり、その淀みの底にはおりが溜まっている。
ときどき僕はそこにこうして手を入れてみる。
僕はその存在に気づいているから、ときどきそういうことをしたくなってしまうのだ。
偶然か必然かには関わらず、僕はそこに手を入れてみるのだ。
でも、それらに対応する ― それらをうまく処理する ― 技術も人間的な器も僕には備わっていない。
それが僕を虚しくさせる。それが僕を呆然とさせる。
ときには混乱さえしてしまう。
僕は酒を飲み、大声で笑ったり、歌を歌ったりすることで、一時的にその淀みの存在を忘れることができる。
でも、それはあくまで一時的なものだ。
酒を飲んでいる間も、セックスをしている最中も、その淀みとおりは僕の中の深い部分に居座っている。
そしてそれをどける手段を、僕は持ち合わせてはいないのだ。それが僕をひどく動揺させた。
ワインを飲んでもギターを弾いても消えない淀み。そして、到底対処しきれないおり。
目の前の景色が揺れてきた。僕は動揺しているのだ。そう思った。
「タケル、大丈夫?」
景色が揺れていたのは、アンニャさんが僕の肩を軽く揺すったためだった。
僕はなぜか自分の両手を眺めていた。そこにはさっき見た色の体積物は付着していなかった。
僕は念のため手の匂いを嗅いでみた。血の匂いがするかもしれないと思ったからだ。
でも、そこにあったのは、かすかに残るヒノキの匂いだけだった。
僕は目の前にあったカモミールティーを飲んだ。
いつの間にか冷めてしまっていたが、香りはそのまま残っていた。
「アンニャさん・・・」しばらくしてから僕は言った。彼女は黙ってこちらを見ているだけだ。
「自分の中に・・・、自分の深いところに、自分自身では到底対応しきれないものがあるとき、僕らはそれに対してどのように立ち向かえばいいんですか。僕の英語は上手く伝わっていますか・・・?」
「ええ伝わっていると思うわ。そして、それがあなたの今聞きたいことなのね」
「そうなんだと思います」と僕は言った。
「その直接的な答えにはならないかもしれないけれど、答えてみようと思うわ」そう言って彼女は座り直した。
「自分の中にある、自分では対応しきれないなにかはね、ある意味そのままにして進むしかないと思うの。
わざわざ掘り下げたり、そこに立ち向かって行こうとしたり、そんなことしない方がいいと思うわ」
「見てみぬふりをした方がいいということですか?」
「見ないふりするのとは少し違うと思うわ。
私が言っているのは、それを見ないのでも、逃げるのでもなくて・・・、うーん、そうね。
それと共に生きようとすることかしらね。私の英語はうまく伝わっているかしら?」
そう言って彼女はチャーミングな笑みを見せた。もちろん伝わっているとも。
「まずはそうやって、自分が完璧じゃないことを認めてしまうのよ。
汚く醜い部分があるということもね。どんなに素敵に見える人であっても、誰しもそういう部分は必ず持ち合わせているから。
本人が気づいているにせよ、気づいていないにせよね。そして、それをわかった上で生きるの」
外では柔らかく積もった真っ白な雪が陽の光を浴びて、ところどころで溶けはじめていた。水滴になったそれらは、光を纏い、綺麗に輝いている。
「アンニャさんは・・・」僕はその景色から彼女に視線を戻して言った。「それと共に生きると決めているんですか?」
「少なくとも私自身はそのつもりで生きているわ。これまでそうやって生きてきたし、たぶんこれからもそう生きていくと思うわ。
息子のひとりが死んだという事実を忘れて生きるなんて、私にはできっこないもの」
僕は何も言わなかった。何も言えなかっただけなのかもしれない。(つづく)
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