昨日のカレンダー 〜その3〜
後堂啓吾 1
近頃、海舟のやつがよく家に遊びに来る。
俺もヤツのことが嫌いではないから相手をしている。いや、むしろ好きな方だ。
海舟が来るようになってから、俺たちは、柄にもなく将来について語ることが増えた。
海舟が持って来る自己啓発本が俺の部屋に平積みにされ、それを二人でよく読むようになったことが、おそらく原因だろう。
いや、正確に言えば、俺は読んでいない。
海舟のやつが気になるところを音読し、それに対してどう思うか俺が応える。そんなことを繰り返しているうちに、人生について語るようになってしまったのだ。
そして最近、平積みされた本の下の方にあるそれを取るのが至難の業となってきた。
海舟のやつが近頃ブックタワーと呼ぶその柱はゆうに30冊以上の高さがある。
おとといその下の方にある1冊を取ろうとしたら、そのタワーが見事に倒れた。
本を10冊程度の山にしておけばそんなヒヤヒヤすることもなく、目当ての本に辿り着けると思い、小分けに積み上げていたところ、それを見た海舟が「これではアートではない」と言い、すぐに積み上げるように言われた。
海舟が自分でやればいいことかもしれないが、「俺は他の人間に何かをさせなければいけない」などと訳の分からない理由から渋々俺が積み直してやるのだ。
「ゴッド、あと20冊は積みたいよ、俺は」とぼやき、「俺は他の人間に何かをさせなければいけない」とまた指示を出し、ヤツが持ってきた本を俺がまた積んでやるのだった。
40冊ほどの高さになるとブックタワーが傾きだす。いくら堅い表紙の単行本を積んだとしても、装丁紙の厚みや帯の関係で、上に行けば行くほど、タワーの軸が垂直軸から離れて行く。
「どうやってやりゃぁいいんだよ。海舟、お前がやれよ」と言うと、「困ったときだけ人を訪ねるな」と言う。
「またそれかよ」
「何度も言うが俺は他の人間に何かをさせなければいけないんだ」
「ったく、意味分かんねぇなぁ」
文句を言いながらも作業に戻る俺も俺だ。
しかし、海舟の頑固さと言ったら半端がないことを俺は知っているのだ。
昔サッカー部の連中がクラスの仲間を焚き付けてルパンをハブにしようという話になったとき、そのメンバーに最後まで加わらなかったのが海舟だった。
それで海舟自身も一時はハブの対象になっていたが「行いは自分のもの、批判は他人のもの。俺の知ったことではない」と突っぱねてしまった。
あのときの頑固さを俺は隣のクラスで傍観していた。 頑固さもここまで来ると才能だ。
今その海舟が言っているのだ。
「俺は他の人間に何かをさせなければいけない」と。
そして、この部屋には俺と海舟しかいない。やるしかない。
その頑固さが海舟の好きなところでもあった。真逆な性格に惹かれ会うのは男女だけではないのかもしれない。
帯付きの本を互い違いに重ね、表面積の広い単行本から順に並べて行く。
慎重に、慎重に。その完成の喜びと言ったらひとしおだった。
「完成だな」 俺がしゃべるより前に海舟が言った。
「だが、やり直しだ。美しくない。俺はこれをアートにしたいんだ」
「こんなタワーに美しさもクソもあるかよ」
「タワーじゃない。今コイツは『ブックツリー』になった」
「それはスカイツリーを文字ったつもりかよ」
「ツリーには美しさがなければ意味がない」
「理解不能だっつーの」
「ほら、この一番下から3冊目のその白い本。その伝記の主人公が言っているんだ。『アップルがやらないと、どこもやらない。だから僕がここにいるんだ』ってな」
「意味分かんねーな」
「ゴッドがやらないと、誰もやらない。だから君がここにいるんだ」
苦虫を噛んだようなしかめっ面を海舟に返してみたが、「俺の仕事は社員に甘い態度を見せることではない。能力を高めることだ」と言葉を続けた。
「あぁ、面倒くせぇなぁ、もう。分かったよ、やるよ、やらせてくださいよ」
「よし、それでこそ、神の名に恥じない態度だ」
「神の名じゃなくて、あだ名だよ、それ」と口を尖らせる。ゴッドとは「ごどう」という名字から海舟が付けたあだ名だった。
指示通り、完成させるまでに、3回は組み直した。配色が悪い、バランスが悪いなどといちいち文句をつけ、その度に俺は本を積み直す必要があった。
なぜか悔しさと義務感が入り交じった気持ちになり、それに発破をかけるように海舟は「仕事はチームスポーツなんだ」などと言う。
ブックツリーが完成した。
「こっちに来て見てみろ」という海舟に言われ6畳の部屋の端に行きそのツリーを眺めてみる。
確かに、美しい。
これだから海舟を嫌いになれない。
つづく
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