昨日のカレンダー 〜その1〜
佐藤順也 1
正月早々吐いてしまった。
別に風邪をひいているわけではない。
酔ったのだ。
しかし、誰かと呑んだわけではない。
自宅で、一人酒で、焼酎とビールを煽りに煽っていると、そのうち天井が回り始めた。
一人でこれほど呑んだのも初めてだが、泥酔をするのもまた、初めてだった。
始めは両親と酒を酌み交わしていたが、そのうち何だかばかばかしくなって一人別室で呑みだした。
両親は嫌いではない。むしろ好きだ。
今年で28歳になる。今まで彼女もできた事がないのを両親のせいにしたこともあった。
なぜこんな外見に自分を産んだのだと。
佐藤順也は実家で両親と暮らしている。兄弟はおらず、職場と自宅、そしてパチンコ店を、まるで振り子時計の周期よろしく、規則的に行ったり来たりを返している。
自宅は築20年を迎えた平屋の戸建だ。雑然と並んだものに囲まれ、汚いわけではないが、ものが多いため、散らかって見える。
自分の部屋とは名ばかりで、両親の部屋とふすまで仕切られただけのプラーベートのない、簡素な作りだ。その部屋の大半を占めるのは、ベッドと机が一体化した物体だ。
小学校の入学祝いに、親戚が買ってくれたもので、これも20年近く使っている。
物持ちが良いわけではない。ところどころ痛みや、傷がある。
子供でもいたなら、「この傷は父さんが小さい頃にな……」などと言って聞かせることができるのだろう。いつかそんな事ができるとも思えない。
この国には色んなものが溢れているが、希望だけがない。そんなことを思う。
まだ使えるから使い続けるという理由で替えることのないこのベッドも、替えるタイミングはいくらでもあったはずだった。しかしそれをしない。
替えないのだ。買えないのか?いや、買える。変わりたくないのだ。
変化を嫌う日本人の縮図のような家族だった。
毎日は平凡で、九時五時で朝から夕まで仕事をなぞり、帰ってからテレビをボーッと眺める。
残業がないのは良いことかもしれないが、下請けの製造業で残業がないのは、業績が悪い証拠だ。
このままでは困る。これ以上業績が悪化して真っ先にクビ切りに遭うのは派遣である自分たちだ。
ここで働き始めた2年ほど前は張り切ってコミュニケーションを図ろうとした。
しかし、一部の人たちがどこか素っ気なかった。そういった態度は正社員に多かった。
「いずれいなくなる人と仲良くなっても生産的じゃないだろ。俺たちが生産するのはこのピストンくらいで充分なんだよ」いつか先輩が言っていた。
「俺たちとアイツらとでは働く場所は同じでも、決定的に置かれている状況が違う」遠くを眺めながら、煙草の煙まじりでぼやいた。
まるで霧の中にいるかのような、そんな景色だった。
そんなことを32型の液晶テレビをぼんやり眺めながら思った。
煙に巻かれたような気になってその話を聞いていると、その煙に消えるように先輩は職場から姿を消して行った。ちょうど3ヶ月前の派遣切りのタイミングだった。
「なっ、俺の言ったとおりだろ」と、少し誇らしげな言葉とは裏腹に、先輩の表情は曇っていた。
そろそろ全てが面倒になってきていた。
自殺ってどうやったらできるのかなぁ。
近頃はそう言ったことを普通に考えるようになってしまった。
全てが面倒になっていた。
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