忘れていた。



書くことが好きだったこと。



やたらとあれこれ本質を考えるのが好きだったこと。



いろいろなことを関連付けるのが好きだったこと。



人前で話すこと。誰かに何かを伝えること。



人が向上する瞬間を見るのが好きだったこと。





その一方で、



大切な誰かと、のんびり公園で



空をぼーっと眺めることが好きだったこと。



ただただ子どもたちと遊ぶこと。



釣れても釣れなくてもいい釣りをすること。





たぶんそこに見返りはなくて、



その行為をしているその瞬間に、



あまりに多くのものを受けとっているから、



きっと、それでもう充分なんだ。



あの日、君は君の、



好きという感情にフタをした。



それからずいぶん経った現在地にて、



迷子になったとぼやいている。



好きな人はもちろん分からないし、



好きなことや、好きな食べ物さえも、ぼんやりしている。



好きという感情で突っ走って、



誰かに怒られたのか、



それとも、誰かを傷付けてしまったのか。



そうして、いつか君の「好き」はその姿を隠し、



目立たないようになってしまった。



でも、僕らの心のセンサーは



自分のたどり着くべき場所を知っていて、



必ず自分自身をそこにナビゲートしてくれている。



今はその道すがらで、



きっと少しキツめの寄り道をしているだけだ。





好きだったものに触れてみる。



好きだったものを食べてみる。



好きだった人に会ってみる。



そうやって自分の「好き」とつながることで、



きっともう少し、自分らしく過ごせるはず。



あなたの「好き」も、あなたの「嫌い」も



誰も人を傷付けやしないから、



そのまま進めば、それでいいと思うんだよ。



あなたが「好き」なら、



相手がどうであろうと、



もう関係ないのだから。



言葉のちから

僕らの言葉と想いと行動が きっと世界を変えていく 少しだけいい方向に

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