誰かのために。



誰かのために生きる人生。


それはすごく高尚で、尊くて、


人としてあるべき姿なのかもしれない。



自分のために生きる人生。


それはすごく下等で、醜くて、


人として情けない生き方かもしれない。



どちらも正解ではない、という見地から、


両者を冷静に眺めれば、それぞれにメリットもデメリットもある。



自己犠牲という名の、自己陶酔。


自己犠牲という名の、自己欺瞞。





本来の自分とはほど遠い、現在地にて、


僕らはいったい、何を思えばいい。



自分のオリジナリティとは?


自分らしさとは?



それを問うことすら、許されない風潮。



世の中は常にアンチに動く。


昔の企業戦士は、今でいうところの社畜に。


つめこみ型の教育は、ゆとり教育にスイッチ。


知識重視型の教育は、体験重視型の教育に。



でもやっぱり、どちらが正解でもないという見地に立てば、


答えは常にその、間にあるのかもしれなくて。



誰かのために生き「すぎ」ることも、


自分のために生き「すぎ」ることも、


正解ではないのかもしれない。



結局、最後はいつも、


「自分には何が心地いいのか?」であって、


そこに「社会的には、、」とか「世間的には、、」という


価値観は不要なように思う。



だから、やっぱり、最後は自分に従う。





もう、小さい頃のように、


手を叩いて呼んでくれる人はいないから、


僕らは自分の心の声のする方へ。



たとえそれが、


一時的に、社会的に、世間的に、


「間違った」答えたであっても。



そんなこと思う、深夜2時、少し前。



さてと。



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言葉のちから

僕らの言葉と想いと行動が きっと世界を変えていく 少しだけいい方向に

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