誰かの人生が気になったとき。



あの人は、こうした方がいいと思う。


この人は、もっとこうした方がもっと良くなると思う。


あなたは、こういうことをしない方がいいと思う。



日々の生活の中でもらえるアドバイス。


逆に自分が誰かにするアドバイス。



その中で少し、考えたいこと。


それは誰かに「したくなる」アドバイス。





あなたはこうした方がいい。これはしない方がいい。


という類のアドバイスを「頼まれてもいないのに」したくなるとき。


それはもしかしたら、自分が自分らしく生きていないサインかもしれない。





自分が何かを我慢しているとき、


自分が何かを後悔しているとき、


人は人をコントロールしたくなる。





あなたはもっとこうした方がいいと思う。


は、自分に向けられた言葉で、


自分自身に対する後悔かもしれない。



あの人はこういうことしない方がいいと思う。


は、自分に向けられた言葉で、


自分が何かを我慢しているサインかもしれない。



人の意見を否定してはいけない、


という否定。



なんだか矛盾してる気もするけれど、


結局僕らは自分が思うように生きればそれでいいんだ。



頼まれてもいないのに、


誰かの人生にアドバイスしたくなったとき、


誰かの人生が気になってしまったとき、


それはもしかしたら、自分が自分らしく生きていない。



そんなサインなのかもしれない。



そうして僕らが日々感じることが、「新しい自分」への鍵をにぎる。


誰かが創ったそんな仕組みが、少し憎らしくて、やたらに愛おしい。



さてと。



どちらを選ぶ、やじろべえ。

言葉のちから

僕らの言葉と想いと行動が きっと世界を変えていく 少しだけいい方向に

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