あなたはいつから。
僕らはいつから、「その者」になるのでしょうか?
自分の認知と、社会的な認知との間には、かなりのズレがありますが、
自分は自分を信じ続けてあげられる存在でありたいものですね。
(2017年12月に書いた言葉です。)
↓
僕らは何者なのか?
こんにちは、ケニーです。高木です。どうもです。
僕は今、勝手に「小説家」として生きています。
べつに誰に頼まれたわけでも、誰に望まれたわけでもありません。
たしかに僕は、10万字程度の長編を書き上げて新人賞に応募もしましたし、短編もいくつか書きました。
そして、その一部をこのサイトに載せたりもしています。
でも僕はまだ、賞も受けていないし、社会的な認知もないし、
印税で生活をしているわけでもありません。
それでも僕は、「そのつもり」で生きているのです。
人はいつから、、
ここにひとつの「問い」があります。
We got one question, here. です。
人はいつから「その者」として生きるようになるのでしょうか?
村上春樹はいつから「小説家」だったのでしょうか?
彼がデビュー作で印税をもらった「その日」からでしょうか?
それとも新人賞の受賞が決まった「その日」でしょうか?
あるいは、彼が自分で経営していた千駄ヶ谷のジャズ喫茶の営業を終えて、
ひとりキッチンでコツコツ処女作を書きはじめた「その日」でしょうか?
それは、 “もしかしたら自分にも小説が書けるのではないか?” と
彼が神宮球場で閃(ひらめ)いた「その日」かもしれません。
あるいは、当時の収入源であったジャズ喫茶を売却し、
「小説家として勝負してみよう!」と決めて千葉県に居を移し、
3作目の長編、『羊をめぐる冒険』を意気込んで書きはじめた「その日」からかもしれません。
どれが、本当の「その日」なのか、それはわかりません。
しかし僕はある意味で、いずれの「その日」も正しいと思います。
結局、それは「測る物差し」によって異なるのだと思います。
社会的な物差し、身近な人からの物差し、そして「自分自身」の物差し。
そこにあてがう物差しによって、答えや正解はいつも違ってきます。
それは時代によっても異なるでしょう。
でも僕は、いずれの場合でも、どんなときでも、本当の原点はひとつだと考えています。
最初は誰が決めるのか?
自分は何者として生きるのか、それを決めるキッカケは「自分自身」だと僕は思うのです。
「自分が自分を何者として認めてあげるのか?」、それがすべての出発点だと思うのです。
あなたは今、自分を「何者として」認めてあげていますか?
いつも、出発点はそこにあります。
いつも、出発点は「あなた自身」にあります。
あなたを心底応援してくれているのは、いつも「あなた自身」です。
“あなた” はいつから
たとえば、人はいつから本当の意味での「父親」になるのでしょうか?
たとえば、人はいつから本当の意味での「恋人」になるのでしょうか?
人は、いったい、いつから「その人」になるのでしょうか?
やはりそれは、本人が「自分をそう認識した瞬間から」だと思うのです。
あなたは、今、自分自身を何者として見てあげていますか?
それは社会的な職業と結びつかない場合も多くあると思います。
最初は、お金になるならないは、そんなに重要ではないかもしれません。
まずは可能性を広げて考えること。
人から言われた「何者か」になるのではなく、
自分で自分を「何者か」認めてあげること。
それが最初だと僕は思うのです。
きっとあなたはもう、そういうタイミングなのですから。
じっくりゆっくり、腹落ちしたら、あとはもう、きっと前に進むだけ。
いっしょに、それぞれ、自分の道を進みましょうね。
キツくなった、そのときは、いっしょにビールでも飲みましょう。
さてと。
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