心が震えなくて。
11万字を書いたところで、なんとなく、「これで第一部が終わった」と感じたので、ひとまず僕はそのファイルを閉じました。
次は同じくらいの分量の第二部を書くのだと思います。
しかし、第二部用のまっさらなファイルを開いてから、一文字も打てずに、今日の僕は1時間以上、なにもせずに時間を過ごしていました(なにせ1日のノルマの文字数があるので途中では投げ出せないのです)。
きっと同じだけの量の言葉が僕の中には眠っているはずです。
けれど、やはりその最初を、どこからどう始めたらいいのか、まるで見当がつかないのです。
もしかしたら僕の心はかちこちに固まっているのかもしれません。
もしかしたら僕の心は震え方はおろか、震えることすら忘れてしてまったのかもしれません。
そうして1時間ほど経った頃、僕は別のスケッチを開始したのです。とにかくなにか書いてみよう。そう思ったのです。
経験的に言って、「なにか」がうまくいかないとき、あえて別のことをすることで、その「なにか」をはじめるきっかけをつかめることは少なくないのです。
だから僕は第二部を書き始めるきっかけづくりとして(ある種の現実逃避的な行為として)、短編を書き始めたのです。
きっと2万字〜3万字くらいの分量の、簡単なスケッチになるはずだ。
僕はそう思いながら、以前から漠然と頭の中にあった景色に身を置いて、主人公の心に自分の心をリンクさせていくのです。
そうやって、主人公の彼の心が震えるようなことが起きれば、きっと僕の心も(そしてそれを読んだ人の心もきっと)震えるはずだと思うのです。
(うまくいけば、そんなことができるのが物語のちからなのだと僕は思うのです。)
そうやって一度、心がきちんと震えさえしてくれれば、あとはその振動を頼りにして、また書き始めればいいのです。
一つの振動をキャッチして、文章にしていけば、次はその文章が別の振動を生み出します。そうやっていくつか作られた振動同士がぶつかり合って、やがて大きなうねりを生み出すはずです。
うまくいけば、そんなことができるはずです。
だから僕はひとまず第二部を書き始める前の「振動づくり」の一環として、短編を書いてみようと思うのです。
きっと今日も物書きと呼ばれる人は、世界のどこかで、ひとり机に向かっているのでしょう。
言葉では表現できない「なにか」を伝えるために、言葉を尽くして挑み続けるその行為とその姿勢が僕は愛おしいのです。
この文章をここまで読んだあなたも、きっと「なにか」に立ち向かう人なのでしょう。
そんなあなたに、いつか直接会えるのを楽しみにしています。
それでは今日もこの辺で。
きっと明日も良い日です。
2コメント
2018.04.02 17:21
2018.04.02 14:43