「小説家」として生きるということ。
昨年の今頃(2017年3月)、僕は思い立って小説を書き始めました。
それは小説と呼べるのかもわからない代物(しろもの)でした。
2万字程度の短編を3つ、比較的簡単に書くことができた僕は、
「今度は長編を書いてみたい」と思うようになりました。
そしてしばらく思い悩んだ挙げ句、やはりそれに賭けてみることにしたのです。
そこで長いスパンで物語を紡ぐことがいかに大変か(同時にいかに面白いか)知ることになるのです。
僕は毎日のようにランニングをして、日々決まった分量を書いて、
生活をするための費用をコンサルで作っていきました。
それは楽(らく)ではなかったし、いろいろと悩んだり、苦しんだりすることも多かったのですが、
それでもやはり自分で「何かを作り上げるということの素晴らしさ」を身をもって経験した期間になりました。
そうして書きあげた長編を2017年の9月に講談社さんの新人賞に応募したのです。
応募を終えてしまった僕はずいぶんとさっぱりとした気持ちになっていました。
同時に文章以外のことが忙しくなってきたので、
しばらく文章からは(少なくとも小説を書くという行為からは)離れて暮らしていました。
ところがしばらくして「あの長編の続きを書いてみたい」という気持ちが湧いてきたのです。
そのために僕は昨年末に「小説教室」なるものにも通い、技術的な向上を図ろうと「書き写し」も続けていました。
そして今僕は、また長編を書いています。
現在は7万字(原稿用紙175枚)くらいのところまで来ました。
僕の見立ててでは20万字くらいまでは行く予定なので、
この先1〜2ヶ月ほどは執筆を中心にした生活をすることになりそうです。
こんな風に生活はしていますが、僕はまだデビューはしていません。
最近よく、「人はいつから小説家になるのだろうか?」と考えるのです。
それはデビューが決まったときでしょうか?
それともそのデビュー作を書き始めたときでしょうか?
さらにはその前にボツにしたいくつもの原稿を書き始めたときからでしょうか?
社会的な尺度からすれば、それはきっと「デビューが決まってから」ということになるのかもしれません。
それでもきっと、僕はすでに「小説家的な生き方」をしていると思うのです。
そうなってから何かを語るのは簡単かもしれません。
しかし、そうなる「前」に、いかにそれを語っていくのか。
それは決して簡単なことではありません。
けれどそれは自分の未来を信じる姿勢と同じだと思うのです。
あなたは今、何をしようとしていますか?
あなたは今、何者になろうとしていますか?
あなたは今、どう在りたいと思っていますか?
偶然的にも今日ここにたどり着いたあなたは、
きっと、より「あなたらしく」なる、その道の上にいると思うのです。
大変なことも少なくないと思いますし、心が折れてしまいそうになることもあるかもしれません。
狭い世界のしがらみがあなたを悩ませるかもしれませんし、誰かとの別れがあるかもしれません。
それでも、あなたは、進みたいのか?
結局最後はそういうことだと思うのです(なんの救いにもならない言葉かもしれません)。
そうやって色々なことをくぐり抜けてきたあなたと、いつか(また)会えることを、僕は心から願っています。
今日の最後に、改めてここに、いっしょに誓いを立ててみるのはいかがでしょう?
僕は小説家になりたい。
世界中を転々としながら、その土地で僕からどんな物語が出てくるのか、僕は見てみたいのです。
僕の書く物語が誰かの琴線(きんせん)に触れて、少なくない数の読者がついてくれれば、僕にもそういうことが可能になると思うのです。
相反するものが、物語の中で綺麗に統合される、そんな物語を僕は書きたい。
自分と相手の境界線が曖昧になって溶け合っていく、そんな物語を僕は書きたい。
今まで見ていた世界が少し違って見えてくる、そんな物語を僕は書きたい。
僕は小説家になりたいのです。
でも、まずはきちんとデビューするところから、ですね。
未来をきちんと見据えつつ、日々足元をきちんと見つめながら、今後も進んでいきたいと思います。
これからも引き続き、よろしくお願い致します。
2018年3月17日 髙木建之介
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