時の重みに耐えるということ。
こんにちは、ケニーです。高木です。どうもです。
今日の午前中は3月頃に書いた超短編(短い短編)を3本ほどコシコシと書き直していました。
これらは短い文章なので、1本あたりもう30回くらいは修正していると思います。
実はこういう作業が僕は大学生の頃から大好きで、
よく詩的な文章を書いてはそんな風に一人でよく書き直していました。
こういった作業に関して、R・カーヴァー(小説家)は、
他の作家の言葉を引用してこんなことを言っています。
ひとつの短編小説を書いて、それをじっくりと読み直し、コンマをいくつか取り去り、
それからもう一度読み直して、前と同じ場所にまたコンマを置くとき、その短編小説が完成したことを私は知るのだ。
僭越(せんえつ)ながら、僕はその気持ちが少しわかる気がします。
でもそれと同時に、文章に完成はないとも思うんです。
あるのはきっと「一時的な完成」だけです。人間と同じで。
さてさて、そんなトンカチ仕事を終えて、午後はこちらに行ってきました。
実は安藤忠雄さんの建物は以前から好きで、本もちょくちょく買っています。
建築家と小説家に共通するところは、
「体力仕事」というところと、
「時間を意識する仕事」というところかもしれません。
やっぱり作るからには「届くべき人に届いてほしい」、
と思うのが作り手の気持ちだと思いますが、
そういう意味で「時間の重みに耐えるもの」を作ることは、
ある意味作り手の責務だと僕は考えています。
もちろん「届けるための活動」や「届けるための工夫」も必要ですが、
それは「時の重みに耐えられるだけの作品」であって初めて可能になることです。
さてさて、個人的な思いはこのあたりにして、、
閑話休題(かんわきゅうだい)。
今回の展示の目玉のひとつは、
野外展示で再現された「光の教会」です。
(撮影もOKでした。)
↓
(iPhone 7 plus でも補正ナシでけっこう綺麗に撮れるんですね。)
静かな空間に、たまたま座っていらした男女がなんとも絵になっていて素敵でした。
ちなみに、この十字架を外から見るとこんな感じです。
今回再現された建物にはガラス窓もないため、
外と内の境界線がなく、外気がそのまま中に入ってくる設計になっています。
(外と内の境界線がわからなくなる物語、他人と自分の境界線がなくなる物語、そんな物語をいつか書けるようになりたい。)
そんなことを考えながら、しばらくぼーっとするには、とてもいい空間でした。
帰りに美術館の近くにあったブルーボトルでお茶をして帰ってきました。
(ドリッパーの整列。)
もちろん本も買ってきました。
(個人的に僕はブルーボトルのコーヒーはエッジが立ちすぎている感じがしてあまり好みではありません。)
美味しいことは美味しいんですが、僕はもっと日常的な味の方が好きです。
帰宅してからもっぱら安藤忠雄の動画を観て、本を読んでホクホクしていた僕なのでした。
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最近ときどき「挑戦」する自撮り。
僕もANDOのように、いつまでも何かに挑戦する人間であり続けたいものです。
ということで、時間の在る方は、
僕が小説で「安藤忠雄」という単語を使わせていただいた超短編をお読みください。
10分あれば読めると思います♫
【パリ空港のふたり】
(2017年3月に書いたものです。)
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