まるいこおり。
漢字も使ってタイトルを書けば「丸い氷」です。
丸い氷。字面(じずら)だけ見ると、そんなに「丸く」ない感じがします。(そう感じるのは僕だけですかね。)
まるいこおり。この方がすごく丸い漢字はするけれど、なんだか「なよ」っとしている。好きな女の子をデートに誘えない草食系男子のような雰囲気。
「彼、優しくていいやつなんだけどねぇ…」と言いたくなってしまうような「まるいこおり」君。
氷は氷でも、バーでサーブされるグラスに入った「まるいこおり」はどうでしょう?
「丸いこおり」でしょうか? 「丸い氷」でしょうか? それとも「まるい氷」でしょうか?
文章を推敲(すいこう)するときには、こういったことも含めていちいち考えます。かなりちまちました作業ですが、僕はこういう作業がわりに好きです。
前後にある文字によってもその「まるいこおり」の印象が変わってくるから不思議です。
漢字ばかりの文章のなかで、あえて平仮名にして目立たせるという手もあるし(そこにはそれなりの意図が必要かもしれません)、そのまま書いてしまう手もある。
いやはや。困ります。でも、それがおもしろいんですね。
ハルキくんの小説を読んでいるとそのあたりがかなり自由に書かれていて、さっきは「僕」と漢字で書いていたのに、
いきなり「ぼく」と平仮名で書いたりしていて、「へぇ、これでいいんだぁ」と関心することがよくあります。
でも僕ら日本人にとってそれはひとつの武器と言えるのかもしれません。
文章ってとことん関わろうとしたらいくらでも関われるし、関わろうとしなければ関わらずに過ごせます。
そこには完成もないし(あるのは一時的な完成だけ)、字面の問題もあるし、とにかくややこしいんですね。
で、タイトルになっている「まるいこおり」の話。(ずいぶん長い序文でしたね。)
家でウィスキーを飲むとき、僕は「丸い氷」を入れてそれを飲んでいます。
丸い氷をつくれる容器があるのです。会社員時代にもらったものを今も大切に使わせてもらっています。そして使うグラスもいただきものです。
そんななんでもない瞬間に「生かさてるなぁ」と意味もなくしみじみと感じるのです。
丸い氷を人差し指で突つきながら「次はどんな文章が出てくるのかなぁ(あるいはもう何も出てこなかったりして?)」とポツリと思う僕。
そんなこんなで原稿用紙2枚分が近づきました。 (Essay 8 おわり)
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