SUDDEN FICTION 〜超短篇小説10−1〜
「ひとつ大事なことを教えてやろうか?」
「なんだい?」
「もしも小説が書きたければ少なくともその間は他の小説を読むなってことさ」
「どういうことだい?」
「バットを振りながら投球ができないのと同じことさ。分かるだろ?」
「分かる気はする」
「だから君が何かを読んでいる間は何かを生み出すことはできないんだ。
もし何かを生み出そうとするのなら、
じっと右脳にある地平線から物語の稜線が顔を出すのを辛抱づよく待たなければいけない」
「もしそれが顔を見せてくれなかったら?」
「そのときはそのときだ。仕方ない」
「僕らはどのくらい待てばいいんだい?」
「どのくらいなんて俺に分かるもんか。自分の才能を信じるか信じないかは自分次第さ」
「そう言う君は文章を書けているのかい?」
「俺の右脳の地平線にはまだ日が昇らないんだ」
「だから君はそれを待っているのかい?」
「ああ、そうだね。こういうのは信じてみるしかないからね」
「それでも君は待ってみるわけだ」
「そうだね。自分の可能性を信じるかどうかは自己責任だからね」
「僕ならバカバカしくてやめちまうかもしれないな」
「俺だってそうさ。そんなバカバカしいことをやるより、
ビールを飲むかその辺の女と一発やってたほうがよほどマシだ。
でもそれじゃああまりに虚しいと思わないか?」
「人生という1ダースの容器は、半ダースの空虚と半ダースの憂鬱でできている」
「誰の言葉だい? ウディ・アレンかい?」
「今僕が作ったのさ」
「出鱈目だね。そんなのまるで出鱈目だ。それならいつ人は報われるっていうんだい?」
「その1ダースぶんの容器をきちんと満たしたときさ。空虚と憂鬱でね」
「とういうと?」
「その両方をきちんと味わって、すっかり受け入れてしまうと、
1ダース分がまるごと幸福という名前に変わるんだ。
僕の言っていることは分かるかい?」
「分かる気はする」
「それは良かった」
「でもそれじゃあ虚しすぎやしないか? 人がなにかに絶望するときは報われないときだぜ?」
「たしかにそれはそうだ」
「だったら俺が右脳の片隅に物語の光を探すとき、それは空虚と憂鬱のどっちだっていうんだい?」
「きっとどちらでもあると思うよ。そう思わないかい?」
「たしかにそれはあるかもしれない。文章を書く作業なんて空虚か憂鬱かのどちらかだ」
「君はそれをきっちり満たせばいいのさ」
「きっちり1ダースぶん?」
「そう。1ダースぶん」
「それじゃあ人生のすべての時間を使って俺はその作業を続けなければいけないのかい?」
「それは君次第だと思うよ。可能性はなんとやらって誰かが言っていたぜ?」
「俺は知らないね、そんな言葉」
「でも、きっと君はやめないと思うよ」
「その根拠は?」
「なんとなくさ。君は書くことをやめない。
どちらかというとやめられないのさ。
君はそういうことでしか自分の存在を定位できない人種なんだろ?」
「まったく、人生ってやつは非参かみじめかのどちらかだな」
「それはウディ・アレンの言葉だろ」
「君の言う空虚と憂鬱の話よりマシじゃないか?
俺はアレンの言葉の方が優しさを感じる」
(おわり)
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