自分をすべて受け取る。
こんにちは、こんばんは。ケニーです。
おはよう、にーはお、グーテンターク。高木です。どうもです。
GWに突然書き始めた「カナダでの話」シリーズ。
第3回で止まってますね。
(えっ、そんなシリーズ知らないって、、、? もったいない。笑)
実は6回分までは書き溜めてあります。
が、アップしていないのは、なんででしょう?
たぶん、その話を続けて書いていくと、結果的に、
イケていない自分、かっこ悪い自分、できない自分につながるからなんだと思います。
つまりはアップしないのではなく、アップ「できない」自分がいたんです。
成長こそが正解?
僕はあの当時、日本での仕事を辞めて、カナダで起業して移住してやるんだ!って、かなり意気込んでました。
経済自由人になるぞ!というのが目標だったし、それが人生で「唯一の正解」だとも思っていました。
成功や成長こそが金メダル。がんばるぞ!!みたいな(暑苦し〜)。
(つまりは本来の自分を否定して、何かを自分に付け足さなければいけない!と思っていたんですね。)
もちろん周りの人たちにも、「起業して移住します!」と公言して、日本を出てきました。
でも、こういったダイナミックなことや冒険って、うまく行っているうちはワクワクするし、
「これこそ人生だ!」「自分、今、生きてるわ〜!」なんて思ったりもするんですが、
一旦うまくいかなくなると、けっこう総崩れ的な感じで、物事も感情も落ちていったりしまうものです。
(ポジティブだった自分がネガティブサイドに落ちていく瞬間です。笑)
そんな、経験ありませんか?
かなり限定的な正解
成長しなければ!今の自分じゃダメなんだ!
そういう恐れや感情はどれだけ自分が逃げても必ず追ってくるし、多くの場合、追いつかれます。笑
僕で言えばそれは、向こうでのビジネスで、年間を通じて売り上げが上がらなかったとき。
そしてもちろん「経済自由人」とか「移住」も叶わない、、。
その当時の僕にとっては、「カナダでの起業→移住=成功」というのが、
自分なりの目標でしたし、それが唯一の(かなり限定的な)「正解」でした。
自分が作ったその正解はいつしか牢屋と化し、僕はそこに自分で入って行って、
どこにも出られない!辛い!苦しい!こんな自分なんてダメなんだ!って叫んでいました。
そして、周りの人に公言してしまったもんだから、失敗した(と思っている)カッコ悪い自分なんて公表できない、、。
という無限ネガティブループに落ちていったのです(自分勝手だな〜、もぉ)。
でも考えてもみれば、
確かにビジネスは安定的に上手くは行かなかったものの、
結果的にはレイクリゾートとワイナリーで働けたし、
50人ほどの方を呼んでツアーガイドをしたわけだし、
10万字程度の物語も書き上げることもできた。
そして、写真と言葉で何かを伝える面白さにも出会えたわけです。
(そう、たとえばこんな写真をね。)
(毎朝見ていた朝日)
(綺麗な朝焼け)
(素敵な釣り人)
でも、あの当時の僕は、その限定的な「正解」以外はすべて「不正解」「失敗」だと思っていたわけなんです。
だからその頃の僕に、「そんなことないよ。お前はよくがんばったよ」とか言っても、
「いやいやいや!!これ失敗っしょ!!」ってな感じで、
その褒め言葉や承認の言葉を、全力で受取拒否をしていたと思います。
自分をすべて受け取る
自分の素晴らしさや才能、そして天才性は、
自分のネガティブなとこ、弱い部分、醜いところとセットです。
それは一万円札の表と裏のようなもので、
片方を受け取ろうとすると必ずもう片方もセットでやってきます。
才能を受け取ろうとしたら、
そのダークサイドやネガティブな部分も一緒に引き受けると覚悟しないと、
本当の意味での才能は受け取れないし、使い切ることができない気がします。
(あれから6年も経った現在地にて、僕は一人、そんなことを思っています。)
いったい自分に何ができるのか?
人にはきっと、無限の可能性があって、
その人がその人の役目を果たすための才能は必ず与えられるようになっている。
僕はそう信じています。
そしてその「才能や可能性」は、これでもか!ってくらいの試練と共にやってきます。
それが初めての経験だったり、その災難の渦中だったりすると、けっこう僕らって混乱してしまいます。
だから、そこから一旦離れて、冷静に一緒に眺めて、その上でどこに行こうか?って一緒に考える。
そんなコンサルを僕は日々、やっている感じです。
色々な素晴らしい自分に出会う手伝いができれば嬉しいです♫
それでは今日はこの辺で〜。
色々な自分を見つけて、統合して、
循環させるコンサルをやっています。
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