無感覚という病。
今の自分にはキツすぎること、
今の自分では受け止めきれないこと、
ときとしてそういうことが、重なって起こる。
そういうときは逃げるでもなく、忘れるでもなく、
人は「感じない」という道を選ぶときもある。
一見その人は、さっぱり、たんたんと、ひょうひょうとして見える。
あたかもそういう出来事に心揺さぶられない鉄の心の持ち主のようにも見える。
でも実は違う。
真正面から受け止めてしまったら心が大打撃を受けること、
自分自身がいちばん知っているから。
でもそれもいい。
もったないのはそれが癖になって、
いつしか何事にも無感覚になってしまうこと。
さらにはその果てに、何事にも無関心になってしまうこと。
好きなことも、好きな人も、好きな音楽も、好きな映画も、いつしか忘れてしまうこと。
ワクワクした体験も、これから行きたい場所も、やってみたいことも、忘れてしまうこと。
だからいつかは感じてみる。
あのときあの人から言われて辛かったこと。
あのときあの人に言えなくて辛かったこと。
あのときあんなふうな仕打ちを受けたこと。
あのときあんなふうに誰かを傷つけてしまったこと。
自分一人仲間はずれにされたこと。
それらを思い出して、感じでみる。
そして、その一部か、もしくは全部が、
実は自分だけの勘違いだったかもしれないと思ってみる。
そうやって置き忘れた感情を感じさせてくれるために、
そうやって自分自身の勘違いに気付くために、
目の前の出来事が起こっているのだとしたら。
一見マイナスに見えるその感情に、実は自分の情熱が眠っていたりする。
小さいころ憧れた、でもいつしか無理だと思ってしまった、あるいは思わされた、
やりたいこと、やってみたかったことがそこにはある。
自分はどんな人間で、どれだけ素晴らしくて、
自分はどうありたかったのか、教えてくれる。
無感覚や無関心で固まった心。
散歩でもしながら解きほぐして、
深呼吸もして、少し笑ってみる。
遅すぎることなんて、きっとないんだから。
How do you feel? //
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